++たらたら日記++

現在絶賛放置中。
感想等は基本毒吐き。
サイドメニューはプルダウン式です。
最近、コメントの表示に若干の不具合が出ていますが、
管理人にはきちんと届いています。

ユーリ・オン・アイス9話時点で毒吐き

 まだYOIの10話見ていないわけですが。
 9話までの時点では自分のTLの反応は各方面ににおおむね好評だったのですが、10話の時点で「最高〜神!尊い!」と盛り上がる人たちとドン引く人たちで両極端。YOIを「愛の物語」として見ていた層と「スポーツを通した若者の成長譚」として見ていた層の差かな、と。
 自分は一応ハートに腐回路を搭載しているけれど、後者として見たくて、片目をつぶりつつ面白いところを積極的に享受してきたのですが、そういう日和見では過ごせない状況が待っているようなので、自分の中に澱のように溜まっていた違和感を形にしてみようかと思う。

 自分はYOIを面白く見ている。
 面白く見ているけれど、主人公の勇利に対してあまりシンパシーを抱いていない。
 1話で勇利がヴィクトルのプロをコピーしているのを見た時点で、自分のプロに対する思い入れはないの?振付師さんやコーチに対して失礼じゃないの?と感じてしまった。
 次に5話ラスト。フリップ芸で愛を語り、地元の応援団を愕然とさせていたあの場面。家族や昔からのスケート仲間、バレエの先生、ご近所さん、応援してくれいていた人たちの愛は彼に届いていなかった、と。彼にとってはそれが事実であるのだとしても、それを口に出してどう思われるかということに考えが至らない。高校生じゃないんだよ?ベテランと呼んでいい年齢でそれ?
 失礼な恩知らずじゃないか。

 勇利にはヴィクトルしか見えていない。
 ヴィクトルとの関係がすべて。

 たぶん一部の方々の心を震わせてやまない、勇利とヴィクトルの関係の絶対的唯一性……それが自分の中に微かな軋みを生む。
 自分はスケオタと名乗るにはあまりに浅すぎるけどそれでも、コーチと選手が、あるいはペア・アイスダンスのカップルがどれほど互いを信頼し、強い絆をもっているように見えても、あっさり関係を解消するのを見てきた。フィギュアにおいては何が起こるかなんて本当にわからないのだ。(これは特に自分が最初にファンになった選手がコーチとの破局後、幽鬼のようにやつれ衰えたというトラウマがあることは否めない)
 勇利とヴィクトルの関係が感動的であればあるほど、落とせば割れるガラス絵を見ているようで胸の一部が冷たくなるのだ。

 そのそもなぜ勇利はヴィクトルしか見えないのだ。子供のころ憧れたから?フィギュアを始めたきっかけだから?すべてに勝るヒーローだったから?

 「運命だからよ!」と一部の人は叫ぶだろうか。

 「愛よ!」

 そうか。愛か。

 運命の愛だっていうのなら、考えてもしょうがないわな。
 ガラス絵だと思っていたものが、大理石に刻まれた頌歌だったというなら、自分の目はどこについていたんだって話。

 ……。
 なんだろう。
 ここまで書いてきて、すさまじい敗北感。

 さて。
 かつてフィギュアに関して何度も「愛」を口にした人物がいた。
 勇利のモデルの一人と目されているその人について、勇利との共通点や異なる点を書いてみたいと思っていたけれど、このダウナーな気分じゃ触れる気にならない。

 思考停止。
2016年12月12日(月) (感想::テレビ)

モロ☆原画展となつかしマンガの話

 映画村ヒーローショーから一夜明け、7月16日(火)
 まず向かったのは京都国際漫画ミュージアム。
 目的は6月末から始まった諸星大二郎原画展。
 (ツイッターで取り上げてくださった方、ありがとう。そして貴女は見られないのにホイホイ出かけてごめんなさい)
 エントランス入ったところにいきなり複製原画(販売品)が飾られていてビビッた。
 受付の前で原画展していたのでさらにビビッた。
 原画展、会期が3ヶ月と長いなあと思っていたら、高橋葉介セレクション、藤田和日郎〜、諸星大二郎〜と一ヶ月ごとに変えるらしい。こりゃしまった。あと2回来にゃならん。

 原画の数はパネル数枚に収まる程度で、そんなに多くなかった。カラー16点、モノクロ4点。目立っていたのは画集「不熟」カバーの原画。大きい。全部に選者のコメントつき。こういうの読むの大好き。
 まずは当然ながら稗田礼二郎シリーズの絵が多く、次にマッドメンシリーズ。コドワの正面ドアップの目力の強さにたじたじ。オリジナル系だと、縄文少女の絵について、高橋氏が体毛の生え方の描き方に言及していてちょっと引きました(笑)
 やどかり子どもの絵は、解説じゃ兄弟になってたけど、私は男の子と女の子だと思ったけどなあ。胸ぺったんこでも。うーん、でもモロ☆さんの少年は基本色気むんむんだからわからんなあ。
 アダムとイブの裸エプロンとか、こんなの描いていたんだ……ていうか、それを選ぶほうも……(笑)
 セレクションに少女モチーフの絵が多かったのは選者の趣味かしら。

 さて、京都国際マンガミュージアムにはちょくちょく来ているのですが、そういえば何読んだとか書いていなかったなあ。
 ので、この際ちょっとまとめて。
 ここのマンガ展示を大きく分けると2つ。メイン展示会場と壁書架。メインは年代ごとに分けておいている。壁書架は貸本屋さんの蔵書をそっくり譲り受けたものが基本となっているらしい。最新のものを読むには向いていない。あとはちょこちょこ企画展示。

 ベルバラ連載期の掲載誌マーガレットをおいていたことあったけど、どのマンガを見ても絵が同じに見えた。感情表現描写のパターンもギャグ絵の入れ込み方もそっくり。毎号読んでいた当時の読者はちゃんと区別ついていたのだろうか。
 ベルバラもエースをねらえの山本鈴美香もはじめはちょっとギャグっぽい絵がはさまることがあったけど、だんだんとシリアスにドラマチックに、構図も特徴的になっていくのよね。

 安野モヨコさんが庵野秀明氏との結婚生活を描いた「監督不行届」も読んだ。本編に出てくるオタクなあれこれについて巻末の詳細な注を見るのもまた楽し。庵野氏は自分より少し上の世代のオタクのようだけど、オタクというのは遡っていろいろ楽しむ生き物なので、だいたい把握できます。そもそも今のオタクで初代ゴジラや大魔神をリアルタイムで見た層はそういないと思うし。

 自分の世代のオタクなら知っていて当然なのにまだ読んでないマンガ読んでみようと思い、まずは高野文子の「絶対安全剃刀」。
 高野文子というとおかっぱ頭にかぼちゃパンツ、簡単な顔をした少女の絵のイメージしかなかったのだが、この短編集は70年代後半から80年代頭の香りがふんぷんとした。
 そして非常に少女的な混沌。
 まだ少女と呼ばれて差し支えないリアルタイムに出会えればよかったかもしれない。こんなもう熟年の玄関口の乾きひびわれた感性じゃなくて。でも、若いときであれば拒否反応が出たかもしれない。自分は綿の国星をちらりと見てどうしようもなく恐怖を抱いてしまった人間なので。

 坂田靖子の「バジル氏の優雅な日常」も読んだ。
 坂田さんのは愛らしいモノノケが出てくる短編などは大好きでよく読んでいたけれど、もうひとつの路線、ちょっとアンニュイな英国紳士の世界は手が出ずにいた。
 なんとなく、自分の感性がほどよく摩耗していて良かったかな、と。
 たぶんたっぷりとそこを流れているであろういろいろな含みを、うっすらとその存在を感じつつ、流してしまえる鈍さを身につけられていて良かったと思うのだ。うまくいえないけど。

 今は順々にくらもちふさこ作品を読んでいる。
 高校生の頃、なぜかクラスの女子の間で別冊マーガレットが回し読みされていた。
 そろそろ尾崎豊が現れ、紡木たくが出てくる頃。
 あまり少女マンガ慣れしていなかった自分は若干偏見を持っていた。主人公はクラスでも余り目立つ存在ではなくてコンプレックスを持っているけど、片思いの相手・人気者のあの人はどういうわけか主人公の良いところを知っていて、そのことは読んでいる側には見え見えで、最後は甘甘ハッピーエンド。予定調和。
 でもくらもちマンガはなんというか格が違った。主人公のときめきや甘い思いや不安や痛み、揺らぎ、自己嫌悪がひどくリアルに響いてきた。相手の男の子もちょっとスケベだったり意地悪な面があったり、先がまったく読めなかった。
 今回まず「いろはにこんぺいと」から「アンコールが3回」まで自分が読んでいた頃のを読み返してみた。
 ……こんなに忘れているものなのか、とちょっとショック(笑)
 で、当時はまったく読みとれなくてそこがリアルだと思っていた男側の気持ちがちゃんと発信されていることに気づいた。
 そして時代の空気感。
 「いろは〜」はまだ70年代的な空気の名残が漂っていたけれど、徐々に80年代の浮遊感と喧騒を伴った華やかさを描き出していく。
 俳優やミュージシャンたちの華やかな世界とその裏側。長い前髪を額に下ろした細面のダブダブ服を着たスターたち。
 トーンワークがにじむ明かりを空気ごと描き出す。
 高校を出て、「アンコール〜」の途中で別マを読まなくなってしまったけど、今回たどり着いたラストシーン、主人公が女神のように神々しかった。
 90年代、21世紀のくらもち作品を私は知らない。
 少し前、雑誌の表紙にその名と連載開始という言葉を認めてパラパラとめくり、まるで別人の、今風の絵になっていることに驚いた。
 時代の空気をしっかりとつかんでその時々の気持ちをくみ上げて描いていくことが出来るのってすごいと思う。
 さて、80年代初頭の華やかな作品を読んで、今度は初期作品から読み進んでいった。
 なんとまあ、70年代の香りただよう少女マンガであることか。絵柄も世界観も。でも少女の心の微妙なひだを描くうまさはやはり飛びぬけているのだよね。
 もう少ししたら80年代後半以降の作品の変化を見届けたい。

 あ、フィギュア見るようになってあちこちで名前を目にしていた「銀のロマンティック…わはは」も読んだ。そしてラストでうっかり涙ぐんだ。敗北感。
 おとうちゃんが素敵だと思う。
2013年08月15日(木) (感想::漫画・雑誌等)

もうちょいテレビの話とか

 今年に入ってから、今さらのように「にほんごであそぼ」を見るようになった。ほんと何年遅れだ。
 とにかく「子どもの学力アップ!」みたいな謳い文句が大嫌いなので、番組の監修者がやたら本を出している人という点で敬遠してた。子どもに意味も分からん古文や名文を暗唱させてどないすんねん、と。
 が、去年「のぼうの城」見て、自分の中で微妙に萬斎さんブームが来たので、敗北感を感じつつ見てみたのですよ。
 うわあ、やっぱり面白いわ。
 なんか予感はしていて(だからこそあえて避けていた面もあるんだけど)、すごい自分好みの世界。
 萬斎さんはじめ、楽器の奏者とかその道でおそらく名の知られているのであろう人々が大まじめに取り組んでいるのにもう諸手あげて降参です。
 んで、自分が40年かけて蓄えてきた諸々の知識を、こんなにあっさりとセンス良い形で与えられる子どもたちに嫉妬心を抱いたり(笑)
 それから、なんとなくセサミストリート思い出す。
 自分の子どものころは吹き替えとか二カ国語じゃなく、英語まんま垂れ流しで、まったく意味わからないけど、わからないままにアルファベットや数字を連呼するショートショートアニメを楽しんでいた。ちなみにエルモはまだいなかった。
 セサミってたしか英語を母国語としていない子どもたちに英語に親しんでもらう目的のある番組じゃなかったっけな。


 萬斎さんマイブームってことで、BSでやっていた映画版陰陽師も1・2と見たよ〜。
 陰陽の術は別に万能の魔術でも超能力でもないだろうに……って感じですが、頭を使わず、他に作業しながらBGMがわりに見るにはぴったりでした。
 1は博雅が「いい男だ」「いい男だ」と周りがいうほどいい男に見えないのがなんでしたが。おバカっぽいよね。
 2は……えーっと、晴明の女装が、なんだかんだいってやっぱりオッサン(失礼)にしか見えなくて、でもところどころやはり美しいので、気持ちの置き所に困ったです。あ、2の博雅はいい男でした。
 そして君たちは京〜出雲をどういう手段で瞬間移動していたんだ。縮地の術でも使ったのか。
 ちなみに原作小説版は1冊目しか読んでないです。漫画版はあと数冊ってところで、あんまり物語の霊的ステージが高くなりすぎてついていけなくなりました。
2013年07月12日(金) (感想::テレビ)

今さら相棒シーズン11の話

 相変わらず、そんなにはテレビ番組を見ていない。
 特にドラマは、なるべくダンナと一緒に見るようにしているんだけど、ダンナは仕事忙しくて週の半分は帰ってこないし、夫婦で休日が違うし、私も帰宅が10時過ぎるとドラマ見る気にならない。
 というわけで、ドラマの消費は週に1本ペースなのですな。

 「相棒」も例によって3か月遅れで見始めた。
 カイトくんに恨みはないけれど、しばらくは「こういうとき尊ちゃんだったらどう推理しただろうな」とか「尊ちゃんならどう行動しただろうな」とか思われてならなかった。
 薫ちゃんの交代劇のときの薫ちゃんファンってこういう気持ちだったのかなあ、とボンヤリ思ったり。知性派と肉体派、冷静派と人情派って具合にバディとしてのバランスは最高だったもんね、右京さんと薫ちゃん。
 薫ちゃん退場から尊ちゃん登場まではインターバルがあって、右京さんが人非人ぶりをいかんなく発揮していて、ずっと薫ちゃんがそばにいたのに全く影響を受けていないのかこの人は、と結構なショックを受けたもんです。
 薫ちゃんも尊ちゃんも右京さんに馴染むのにけっこう時間がかかっていたはずなんだけど、カイトくんの慣れ方早すぎやしませんかと。
 とつぶやくとダンナが「若いからでしょ」という。
 まあ結局、尊ちゃんがいなくて寂しくてひがんでるだけなんだけど。
 でも、存在そのものを抹殺された感のある薫ちゃんと違って、尊ちゃんはチラホラと存在を匂わせてるのでまだいいかな。

 存在を匂わすといえば、イタミン主役のスピンオフ映画、普通に面白かったな。
 どうも相棒スタッフって本気出すと話がやたらめったら重く後味悪くなりがちで、前の劇場版2作もどんより気分で映画館を出る羽目になったけど、これはちゃんとバランス取れてた気がする。

 話をテレビ版に戻すけど、まだ尊ちゃんのいた時期含め、この3シーズンほど、どうも後味悪いというかスッキリしない話が多い気がする。誤解の末に本来犯さなくてもいい殺人を犯してしまったみたいなやつ。ことスペシャル版になるともう張り切って重いし大風呂敷だし後味悪いし。
 そんな中、今シーズンで伏線の張り方とか視点の切り替え方、話の転がし方がうまいな〜と思ったのは先天性の病気の子供が行方不明になる話。と思ったら、脚本古沢良太氏だったわ。
 ちょっと自分、古沢良太信者の気があるように思える今日この頃。鈴木先生もリーガル・ハイも大好きでしたよ。
2013年07月10日(水) (感想::テレビ)

映画「ホビット」

 「ドワーフだらけでむさくるしいけど面白い」という評判が流れてきて、早く見たいと思えども、3時間という上映時間と自分の都合がなかなか折り合わず。終演が23時って家に帰れないし! 3Dで見ようと思うと眼鏡にクリップで装着できるのって近所だとマイカルしかないから余計に選択肢狭まるし……ということで、やっとこさ都合つけて出かけた1月最後の休みの日。

 原作は読んでいないけど、LOTR三部作は劇場で見たし、ディレクターズカット版を購入もした。王の帰還ディレクターズカット版を劇場で見たときは途中トイレ休憩があったっけ。

 始まる前の映画広告でジャックと豆の木がなんだか、地上を狙う雲上世界の巨人たちと迎え撃つ騎士たちの大スペクタクル戦闘!!ジャックとお姫さまのロマンスもあるでよ……みたいになっていて、最近童話ネタ映画多いけどここまで来たかと思いましたよ。

 3D版は吹き替えと決めております。飛び出す字幕を読む苦痛は一度でコリゴリ。本来の声はBDを楽しみにしておきます。

 ニューラインシネマのロゴが出た瞬間懐かしさで一杯になって、そこにホビット庄のテーマが被さったらもういきなり涙腺刺激されてヤバいことになってしまった。
 平和なホビット庄を見るだけでもう泣ける。
 しかもフロド〜!!まだ傷つく前のフロド〜〜!!!!
 疲れ果て、彼岸へ旅立つ姿を思い出してさらに涙腺が……
 しかしLOTR撮影してから十年以上経ってるのになんで変わんないの?
 ていうか、ガンダルフも全然変わんないんですけど。どういうこったい。

 『シャーロック』見ていないので、若き日のビルボの役者さん知らないけど、なんとも人好きのする感じのチャーミングな方ですね。
 ドワーフ大集合の場面、一応事前に名前を写真一覧にしてるページをネットで見ておいたんだけど、やっぱり覚えられません。(ちなみにそのページにはドワーフ役者さんたちの人間態(笑)も載っていたけど、ひげとボサボサ頭のほうが皆さん格好良いと思う私はおかしいのか)

 LOTRの旅の仲間も大所帯だったけど、魔法使い、人間、エルフ、ホビット、ドワーフとバラエティに富んでいたのですぐ頭に入った。
 でも今回は魔法使いとホビット一人ずつで、あと13人ドワーフ。体型一緒。ガンダルフじゃないけどいちいち数を勘定しないと。
 んでも王様かっこいいよ王様。
 2作目3作目と続けて見てたら区別付くようになりますかね。
 その前にBDで(略)

 それにしても、相変わらずガンダルフが武闘派でありました。魔法使ってるより剣と杖ぶん回してるほうが多いよ。十年前もすでにご老体だったのに、なんでまだそんなにアクティブなのよ。

 エルロンド卿もガラドリエル様も相変わらずお美しい。役者さん怖い。で、えーっと、サルマンの中の人は扱いが悪いといって監督と袂を分かったんじゃなかったっけ、あれ?
 サルマンは今回もお小言をサラッとスルーされていてなんか気の毒でしたよ。

 で、ゴラムのお目々も相変わらずおっきくてキラキラしていて、なんか妙にいたいけでどうしてくれようかと。どうもしないけど。

 さてはて、個性だらけの面々の中で、われらがビルボは几帳面で生真面目でまるで冒険向きでないのに、機転とひそやかな勇気を持って進んでいきます。
 自分が故郷が恋しいから、故郷のないドワーフたちの気持ちを思いやり、力になりたいと語るのがよかったよ。

 まだ敵は「目」しか出てこない状況で、旅はまだまだこれからっぽい。
 来年の続きが楽しみ。
 その前にBDで復習をしませう。ディレクターズカット版もでるのかなーわくわく。
2013年02月19日(火) (感想::映画・DVD)

映画「のぼうの城」

 先々週、ダンナと見に行きました。
 えっと、一言で言えば、楽しく観られました。
 自分はあまり戦国〜安土桃山時代(というか日本史全般)について興味がないというか知識がないので(レキジョが聞いたら憤慨しそう)どうだろうと思ったのですが、話の運びがとても丁寧だったのでなんとなくわかった気になって見られました。説明が多くてテンポがのろいという説もありますが、個人的にはむしろ有り難い。
 ちなみに原作は未読です。気にはなっていたんだけど。

 若干、野村萬斎氏の資質に頼りすぎな感はありますが(笑)
 他の人だったら田楽のシーンどうする気だったんだろう。
 飄々としてつかみ所が無くて、頼りがいもないのに何故か人の心を捉え、どこかに秘するものを持つ武将像が実にはまっていました。
 ていうかやっぱり男は背筋が伸びてるとそれだけで男前度最低でも三割増しだね。声が凛としているとさらに倍率ドン(笑)

 周りを固める面々も個性的でよろしうございました。
 主人公長親の幼なじみで苦労性、戦場においては漆黒の魔人なんてかっこいい二つ名を持ってる正木。
 豪快で戦い大好き、腕っ節自慢の柴崎。
 自称軍略の天才だけど戦未経験の若造、ゆきえ(漢字がわからぬ)。
 萬斎さんがインタビューで周りが濃いから自分はその中に居場所を見つけるだけで良かったというのがよくわかる。

 ただね、城主の息女、甲斐姫だけがね……。お転婆という面は充分出ていたけど、若造が一目惚れするような天女のごとき姫様っぷりだったというとちょっと……。
 でも考えてみると今の若い女優さんで戦国の姫様がはまる人っているのかしら。
 最近大河も見ていないから、具体例が思い浮かばない。
 なにせこの人なら天女のごとき武辺者やれそうだと思い浮かぶのが若い頃の栗原小巻とか島田陽子とかどれだけ遡ればいいんだという……。
 「映画女優」という言葉そのものがもう死語なんだろうか。

 本当なら去年秋に公開予定が、水攻めシーンが東日本大震災を彷彿とするので延期になったとか。
 そのためか、あしだまなちゃんが小さい小さい。
 水が押し寄せるシーンの構図で、とあるブログで古い特撮へのリスペクト(大魔神とかゴジラとかガメラとかその辺のことだと思う)が強すぎることをいかがなものかと書いていたけれど、この映画のメインターゲットがそんなウンチク持ってると思えないので気にするだけ無駄だと思います。ま、自分はちょっと怪獣映画っぽいとは思ったけど。

 映画のラストで劇中に出てきたそこかしこが現代に名残をとどめているのが映し出されて親切だと思いました。ていうかこれ丸々フィクションじゃなかったのか(←おい)
2012年12月11日(火) (感想::映画・DVD)

「サイケデリック・ペイン」大阪公演の思い出

 観劇してからもう2ヶ月近く経ってしまいました。
 書けなかった言い訳はいろいろあるのですが、言うても詮無いことです。
 とりあえず、それだけ間を置いても自分の中にまだ残っていることをぽつぽつと拾い上げていきたいと思います。

 そもそもロックというものは自分から最も縁遠いものでした。
 ロックとはどうも音楽の一ジャンルというだけではなくて、生き方であり、世界に立ち向かう姿勢であるらしい。「ロックな生き方」とか言われても、自分は生ぬるい性格だし宮仕えの身だし。純粋に音楽の話であっても、縦ノリより横揺れな曲のほうが好きだった。
 なわけで、かーなーり、不安を抱えて臨んだわけです。
 単に若い女性が大勢集まるであろう場所にノコノコ出向くということ自体気後れのする話なのですが……。
 場違いな場所、気後れのする場所に厚顔無恥に乗り込んでいくということがもはや自分の通常営業と化しておりますので。

 まあ、実際に会場に着くと、自分と同年代かもっと上とおぼしきご婦人がたが大勢だったので、それほど気が引ける思いはせずにすみましたが。
 東京公演はけっこう長い期間で、何度も足を運ぶ熱心なリピーターがいらっしゃることは知っていました。
 今日のアドリブはどうだったとか今日は誰がどこをとちったとかいう話を見るにつけ、うらやましさで歯ぎしりしておりました。
 自分は仕事の都合で一回しか見られないし。千秋楽のつもりだったのに追加が出て千秋楽じゃなくなったし。
 その一回でどれだけ自分の中に叩き込めるか不安でしたが、まあ成るようにしかならない。
 一体この観客の中に関東からの遠征組がどれだけいるんだろうというのが地味に気になりました。

 トライストーン先行で取った席はかなり上手側でしたが、前から4列目でした。最前列とかだとかえって舞台全体が見づらくなりそうなので、良い位置ではなかったかと。

 以下本編について。
 なんとDVDが発売されるそうなので、ネタバレ隠します。
2012年11月19日(月) (感想)

映画「新しい靴を買わなくちゃ」

 昨日、見てきました。
 上映終わっちゃうかと思ったけど、何とか続いて、長期出張帰りのダンナと見ることができました。
 別に無理に付き合わせた訳じゃなく、ダンナは何かダンナのアンテナに引っかかるものがあったらしい。

 事前に綾野ファンの方々の反応の鈍さというか温度の低さを知っていたので、まあそういうことなんだろうなとあらかじめ諦めというか覚悟して臨みました。

 ほぼ全編ほのぼのいちゃらぶ。
 個人的にそういうの嫌いじゃないので楽しく見られましたが、苦手に思う人がいるのもわかる気がする。
 なんていうか、とてもおしゃれでセンスの良い小物をたくさん置いてある雑貨店に入ってしばらく過ごしたときの気持ちのウキウキっぷりに似てるあの感じ。

 以下ちょっとネタバレ……というほどストーリーはないんだが。

 千くんは容姿のことはさておいて、あんなに女性に対して気の利いた受け答えが出来て気遣いもできるのなら日本でもモテモテじゃないのかと。あんな良物件ほっとく人いないだろ。
 ダンナに言わせると「人畜無害すぎる」そうで、やはり男女でツッコミの方向性は違ってくるようです。
 まあ、「ありえねー」って点では一致ですが。
 黙ってぎゅーってしてくれるなんて素敵じゃん。

 カンちゃんはスズメを追いかけなかったね〜、と、千くんと葵さんよりはもうちょっと「ありそう」なカップルについても考察してみたけど、書かれている背景があまりにも少なくて考えるだけ無駄という結論になりました(苦笑)
 「いつでもどこでも私を見て」的な女の子って、ずっとそばにいてそのノリに付き合うのは面倒なんだろうな。

 風景が綺麗でアパルトマンもあちこちのお店もおしゃれでミポリンが可愛くて向井君が格好良くて、いちゃらぶがくすぐったい。
 それでよし。
2012年11月07日(水) (感想::映画・DVD)

映画「009 RE:CYBORG」(ネタバレ有り)

 他に書きたいことは山とあるけど、とりあえず今日見てきたので吐き出し。

 内容と無関係なことでちょっと愚痴。
 なんばパークスシネマの3D版見に行ったら、3D用眼鏡がレンタル一種類しかなかった。
 いつも行ってるとこでは眼鏡にクリップで取り付ける用が売っていて、一度買えばマイ3D眼鏡にできるのに。
 劇場が違えば3Dの方式も違う可能性があるからと置いてきたけど、ダメ元で持っていけばよかった。
 眼鏡オン眼鏡って……ずれ落ちる。うまく引っかけても重い。
 2時間手で眼鏡を支えるってどんな拷問。
 途中からずっとホームアローン(あるいはムンクの叫び)体勢でした。
 
 さて。

 映像は素晴らしかった。
 今はこんな表現もできるのかと驚いた。
 あの画面を作り上げたスタッフに敬意を表したい。

 そして……ある意味……
 非常に正統な009の系譜でした……(血涙)

 以下ネタバレ。
 超ネタバレ。
 かつ猛毒注意報発令。
 閲覧は自己責任でお願いします。
2012年10月30日(火) (感想::映画・DVD)

映画「メリエスの素晴らしき映画魔術」「月世界旅行」

 さしてコアな映画ファンでなく、SFファンでもないのですが、なんとなく「人の顔した月に弾丸ロケットがブッ刺さっているビジュアル」は見たことがあるわけで。
 それが映画黎明期の作でありSF映画の祖であるくらいはなんとなく知っていて……。

 というわけで、大阪のシネ・ヌーヴォに彩色版「月世界旅行」と作者メリエスと作品についてのドキュメンタリーを見てきました。
 ちなみに「ヒューゴの不思議な発明」は見ておりません。

 定員29人の小さい方のスクリーンだったんだけど、13人も入ってましたよ。今まで3人とか5人とかばっかだったので新鮮。

 メリエスさんって、言葉のあやとか比喩じゃなく、本当に舞台の奇術師だったのね。
 この人にとって映画は自分所有の劇場に観客を呼ぶための見せ物の一環だったわけで。
 たまたま撮影機械の故障で生じた映像上の早変わりを皮切りに、重ね撮りなどを駆使した初期の作品は、ごくシンプルにエンタテインメントに満ちていた。
 作品はどんどんと大がかりになっていって、スタジオは採光のために総ガラス張り……ってどこの温室だよそれ。
 ドキュメンタリーで次々と映し出される作品の断片を見ながら、なんというか19世紀末の舞台ってこんな感じだったのか〜と。
 水着みたいなの着たお姉ちゃんたちがずらーっと並んでダンスして、月やら星やら怪獣やらの大きな作り物がぶら下がって、女神様の格好したお姉ちゃんが宙吊りになって……。
 それらは自分にとっては前世紀……いや、前々世紀か、の記号的なイメージ、ノスタルジックなデザインにしか過ぎないけれど、その当時の人々にとっては最先端の楽しみごとだったわけで。
 目一杯想像や憧れをかき立てられる夢の時間だったんだろう。

 でも世紀が変わって、権利とかがいいかげんだった頃の話だから、複製の無断上映、盗作・模倣作の乱立、それらに追い上げられる焦りからの粗製濫造、同じような作品ばかりによる観客の飽き。戦争。
 そして何よりも、科学技術の発達が想像を追い抜いてしまったことで、メリエスの作る映画の輝きは失われてしまった。
 で、メリエス作品に限らず、状況が変化して売れなくなると、作品があっさり廃棄されていったというのがなんというかもう。
 (NHKだってわずか30年前までビデオテープをガンガン再利用していて作品残していないんだよね。または海外に流出させたり)
 ドキュメンタリーの終盤は、今や稀少品となったフィルムをいかに復元したかの話になります。

 そして、上映された「月世界旅行」彩色版。
 正直、今の自分の目からすると、あまりにも他愛のない映像。
 非常に帝国主義的で、月まで行って、月星人殺戮しまくるし、ラストでは月を踏んづけてる銅像だし。
 でもこれがなければ、自分が見たあの作品もこの作品も存在しなかったわけで。
 年月って不思議。
2012年09月11日(火) (感想::映画・DVD)

[1][2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11] [12] [13] [14] [15] [16] [17] [18] [19] [20]
OR AND
スペースで区切って複数指定可能
<< 2019年03月 >>
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            

最新の記事

最新のコメント

カテゴリー一覧

最新の記事〜月別〜

OR AND
スペースで区切って複数指定可能

[Admin] [TOP]
shiromuku(fs6)DIARY version 2.30