ふーむ。やっぱり最初の1クールを丸ごと使って、五人の関係を一つの落としどころにおさめたってところだね。 1年の放映が確約されている戦隊物だからこそできる業だなあ。
第九幕 これはもう、最後の殿の「ごめん」に尽きるでしょうなあ。 ちょっと話それるけど、視聴者がシンケンジャーを受け入れられるか否かって、殿のあのありようを許せるかどうかにかかってる気がする。それで脱落した人も実際目撃したし。 個人的には、割と「有り」なんですがね。 青年と呼ぶのも幼いような若者が、懸命に威厳を保とうとし、表情を整えているその顔の下に、普通の子供っぽさがちらちらとのぞきかけているのは、なんというかこうクるものがある。 更に余談なんだけど、殿はかなり大泉マジックが強いんじゃなかろうか。素の中の人を見ても気付かない気がする。
からはっしーはああいう扮装をさせると似合うなあ。
第十幕 (木)の成長譚。 ていうか彼の場合は毎回それになりそうな気が。 どんだけ伸びしろがあるんだっつう。 伸びて縮んでまた伸びて?
獅子折神と戯れる殿がプリティ。 で、でかいバイク乗りこなすジイかっこええ。でもどうせなら(木)を現場まで送ればいいのに。
第十一幕 どシリアス。 ドウコクさまが暴れると賽の河原からナナシがあふれ出すのか。じゃあなるべくドウコクさまには落ち着いていてもらわなけりゃいけないわけだな、人間としても。 率いるアヤカシとてなく、ドウコクさまの怨みに同調してあふれ出すナナシどもは、その無秩序さゆえに何とも不気味で、たちが悪い。
しかし早い段階からえらくハードルの高い命題が来たね。 ドウコクを封印できるのは志葉家当主のみ、ということで、敵さんは今までの破壊活動プラス殿の命を狙うことを優先的にやってくるわけで。 侍たちとしては人々を守るプラス殿を死なせちゃいけないという最優先事項ができてしまったわけで。
三つ巴の戦いは、ストレートに見応えがありました。 ちょっとまたまた話がそれるけど。 最近とあるサイトで読んだ記事で、仮面ライダー(この場合平成ライダー)を見る層=特撮全般を見る層ではなく、ライダーは見ても戦隊は見ない人たちが相当数いて、クウガやアギト、あるいは電王から入っても、その先に進まないケースが多いのでは、とあった。 自分はあまり周囲にそういうことを実感させるケースを見なかったので首を捻りつつ、だとすると少数派にあたるであろう自分は何故先に進んだのだろうとうっすら考え続けておりまして。 今回の三つ巴の殺陣を見ながら、そういえば戦隊を見始めたきっかけは、たまたま目にしたガオの狼鬼の流れるような剣舞だったことを思い出した。 何故の答えは単純だった。格好良く美しいからだ。 洗練された動きは美しく心動かされるから、ショー通いも止められない。 他にもいくらでも理由は見つけられるけれど、結局それに尽きるんだろうな。
脱線しすぎた。 殿が家出したのは、自分を守るために仲間が傷つくことへの恐れなんだろうか。 殿の中で何かが変わったのだろうと思っていいのか。 それとも、それは元からあった心情なのか。
第十二幕 家出はいいけど、殿ってば身の回りのことは一から十まで黒子に任せっきりぽいから寝食大丈夫なのかしらと思ったら、それ以前に迷子にならはった(笑)
いつもの戦隊なら一般市民がひどい目に遭っていても、原因の怪人を退治したら嘘のように元通り、というのがセオリーだったのに、シンケンの1話とか、あれちょっとほんとに斬り殺してるよね!?と方々に衝撃を与えていたわけなんですが……気のせいじゃなくてやっぱり一般市民の犠牲が出ているみたいです。わー洒落にならない。
以下ミニツッコミ。 「初めて感心した」って、さりげに殿ひで〜。 志葉家にパソコンとかカラープリンタとかあったのか。 合体メカ、あれ、玩具ちゃんと立つの? ロボが空飛んだとき(天)だけノーリアクションだったので、高所恐怖症かと思ったけど違ったみたい。
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