さしてコアな映画ファンでなく、SFファンでもないのですが、なんとなく「人の顔した月に弾丸ロケットがブッ刺さっているビジュアル」は見たことがあるわけで。 それが映画黎明期の作でありSF映画の祖であるくらいはなんとなく知っていて……。
というわけで、大阪のシネ・ヌーヴォに彩色版「月世界旅行」と作者メリエスと作品についてのドキュメンタリーを見てきました。 ちなみに「ヒューゴの不思議な発明」は見ておりません。
定員29人の小さい方のスクリーンだったんだけど、13人も入ってましたよ。今まで3人とか5人とかばっかだったので新鮮。
メリエスさんって、言葉のあやとか比喩じゃなく、本当に舞台の奇術師だったのね。 この人にとって映画は自分所有の劇場に観客を呼ぶための見せ物の一環だったわけで。 たまたま撮影機械の故障で生じた映像上の早変わりを皮切りに、重ね撮りなどを駆使した初期の作品は、ごくシンプルにエンタテインメントに満ちていた。 作品はどんどんと大がかりになっていって、スタジオは採光のために総ガラス張り……ってどこの温室だよそれ。 ドキュメンタリーで次々と映し出される作品の断片を見ながら、なんというか19世紀末の舞台ってこんな感じだったのか〜と。 水着みたいなの着たお姉ちゃんたちがずらーっと並んでダンスして、月やら星やら怪獣やらの大きな作り物がぶら下がって、女神様の格好したお姉ちゃんが宙吊りになって……。 それらは自分にとっては前世紀……いや、前々世紀か、の記号的なイメージ、ノスタルジックなデザインにしか過ぎないけれど、その当時の人々にとっては最先端の楽しみごとだったわけで。 目一杯想像や憧れをかき立てられる夢の時間だったんだろう。
でも世紀が変わって、権利とかがいいかげんだった頃の話だから、複製の無断上映、盗作・模倣作の乱立、それらに追い上げられる焦りからの粗製濫造、同じような作品ばかりによる観客の飽き。戦争。 そして何よりも、科学技術の発達が想像を追い抜いてしまったことで、メリエスの作る映画の輝きは失われてしまった。 で、メリエス作品に限らず、状況が変化して売れなくなると、作品があっさり廃棄されていったというのがなんというかもう。 (NHKだってわずか30年前までビデオテープをガンガン再利用していて作品残していないんだよね。または海外に流出させたり) ドキュメンタリーの終盤は、今や稀少品となったフィルムをいかに復元したかの話になります。
そして、上映された「月世界旅行」彩色版。 正直、今の自分の目からすると、あまりにも他愛のない映像。 非常に帝国主義的で、月まで行って、月星人殺戮しまくるし、ラストでは月を踏んづけてる銅像だし。 でもこれがなければ、自分が見たあの作品もこの作品も存在しなかったわけで。 年月って不思議。
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