久しぶりの長文がこれかよ、という。 とにかくキモいキモい文章なので、閲覧注意。 自分でも読み返せないわ、キモくて。
半年前の記事でね。 あれだけ散々書いておいて、自分のこと町田ファンだと思っていなかったんですよ。 気になり具合がほかの選手より少しだけ高いだけだと。 ろくに試合の視聴を消化していないのに、彼の演技だけは繰り返し見て。 ニュース映像はがっちり押さえて。 何度も夢に見て。 ソチ後に乱立した各種2chのスレもあれこれROMして。 PIWでは100枚くらい写真撮って。 画像フォルダはパンパンになって。 表紙の雑誌は指紋が付かないようにそっと端を持つようにして。 自分の中では、綾野さんに次ぐ「美しい人」カテゴリだな、と内心つぶやいて。 それでも、ファンだなんて思ってなかった。 ファンという責任ある立場から離れていたかった。
それが。 グランプリファイナルで、仕事あるから何も見ずに寝て、起きて。 ツイッターのタイムラインと2chの実況見て結果を知って。 胸が痛くて。 そして、一瞬がっかりしてしまった自分自身に対して湧いた怒りと反省の気持ち。 それらを鑑みるに、ああ、自分はファンなんだと。 たぶん周りから見れば何をいまさらだったろうけれど、ようやく自覚した。
いつからか、と言えば、昨季のスケアメインタの頃からなんだろうけど、思い返してみれば、2012年のドリームオンアイスのロシュフォールでスタオベしたときに確実に心の一部は奪われていて、さらに思い返すと、2011年のプリンスアイスワールドのドンストで3Aの高さに驚嘆し、ふれあいで素敵な写真を撮らせてくれたときから、意識するようになった気がする。(ちなみにドンストは2011PIW、N杯EX、MOI、神戸チャリティと4回生で見ている。神戸ではエアギターが目の前でドキドキした)
……ここまで書いて、なんだか続きに詰まって、一服して、半年前の自分の記事を読み返してみて、どこをどう見てもただのファンじゃないかと笑えてきた。 よくもまあこれで「別にファンじゃないし」とか思っていたものだわ。
……うん、町田氏の情念ドバドバの演技に引き込まれていた一方で、心のどこかでなにかこう「おいてきぼり」感を覚えていた、ということはあるかもしれない。 それもまた、ずっと自覚はしていなかったんだけど、GPFの直後に読んだ、ある方のブログで、町田氏が芸術を追い求める余り孤高となっているというようなことが書かれていてストンと胸に落ちて。 孤高かどうかはともかく、少なくとも自分は、なんかもう演技の情感がすごすぎて毎度毎度ふわあああっとなる一方で、自分の感情とか感覚が追いついていけないもどかしさのような何かを感じ続けていたような気がする。それは町田氏のせいじゃなくて、私の責任なんだろうけれど。私のあれこれが足りないからなんだろうけど。
ああもう。 町田氏について語ろうとすると語彙が足りない。 絵も描けないし、手芸も出来ない自分が、自分が好きな対象について何か表現するための手段は言葉しかなくて。 文章はまあ人並みに扱えるつもりでいたのに、町田氏に関してはどうにも表現が追いつかなくて、もどかしい。 演技の前、仙界に棲むもののように氷の上に佇む姿。 演技中、何か大きな意思とコネクトし、その動きで奔流を生み出しているようす。 演技後、四方に視線を投げながら、賞賛の声をすくい上げるように礼をし、どこか遠くを見ているような姿。 それらを言葉でとらまえようとして、できなくて、ほとんど絶望的気分。 どうしようもなく、自分の先にいる人。 何かを感じ、言葉にするものとしての私の矜持を、その演技とその言動で打ちこわし、それゆえどうしようもない憧れと、どうしようもない焦りと劣等感を私に抱かせる人。
あの日。28日の朝、私はまさに自分の言葉が及ばないことの絶望感に打ちひしがれていた。 タイムラインを流れるツイートで、SPで涙しFSで周囲に感謝の念を述べる町田氏について違和感と不快の念を述べるものがあり、それに反発して、町田氏が常に観衆に見せようとする超然とした姿と全日本での違いに言及しようとして、表現することが出来ずに愕然としてしまった。
27日の夜。通常「地上波はCMが嫌なのでBSかCSまで待つ派」なのだけれど、我慢しきれなくなってテレビをつけて、ちょうど小塚選手の演技が始まるところだった。 若干着氷が詰まりながらも、一つ、一つ、要素をこなしていく。 去年意地を見せながらも涙の結果となったこと、突然のWCに食いついていったこと、春のSOIのSOSに泣かされたこと、JOの不調、それらが頭をグルグルしながら、どうかこのままと祈っていた。2011モスクワでも、どうかこのままと祈ったことを思い出しながら。 小塚選手らしからぬ激しいガッツポーズと、佐藤夫妻のモスクワ再来のガッツポーズに涙を禁じえなかった。 興奮冷めやらぬ中、点数を待つあいだ、町田選手が氷の上にあらわれた。 小塚選手に良い点が出て上の順位に行って欲しい、けどそれは他の選手の順位を下げることにつながるのだと、なんとも残酷だと言う思いを抱いた。
この2シーズン、試合前の町田選手は大きなことしか言わなくて、全日本で第九の完成形を見せると常々言っていたけれど、わずか2週間前のこともあり、正直安心はしていなかった。 冒頭、流れない着氷と、転倒(悲鳴で横のダンナを驚かせてしまった。スマン) ああやっぱり完成形は見せられなかった、とまず思い、点数・順位・チャンピオンシップへの派遣のことなどが頭を回ったけれど、不思議にそれらが消えていった。 完成した演技ではないけれど、見ているうちに頭から雑念が抜け落ちていく。この2年町田氏の演技を見ていて初めて無心でその世界に入り込んでいけた気がした。 いつも先に先に進んでいた町田氏がこちらを振り返りそっと待っていてくれているような不思議な気分だった。 舞いながら町田氏は微笑んでいた。歓喜の歌。 なぜか実況解説も入らず、音楽と、滑りと、見つめている自分の鼓動だけ。 滑り終えて、町田氏はうなずいた。 どこか納得したようなうなずきだった。 そのうなずきに、自分のひときわ大きな鼓動が重なった気がした。 とうとう追いついた。いや、追いつかせてもらった。そう思った。 点数も、順位も、派遣のことも、あまり頭に無かった。 やっと、添うことができたと。その静かな喜びを抱きしめていた。
その次の日、町田氏は、ぽん、とその先に行ってしまった。 もう、自分のような立場のものでは追うことも、見守ることも出来ないところへ、軽やかに旅立ってしまった。
町田氏は綿密に、入念に計画し、実行していた。 ほとんど誰にも知られること無く。
私は、数十年来の二次元オタで、スケートと言う筋書きのないドラマに足を踏み込んで以来、選手や演技をキャラクターやコンテンツのように消費しないように自らを戒めてきたつもりだけれど、選手の…人一人の内面を斟酌することの無意味さを痛感させられることとなってしまった。
彼の行動は鮮やか過ぎて、いさぎよすぎて、美しすぎて、ただ感嘆し、納得し、幸多かれと祈ることしかできなかった。 ただ、丸一日たって、追いついたと思ったのに、結局取り残されたんだなと気づいた瞬間、馬鹿のように大声を上げて泣き続けた。
今、自分の頭の中を「一期一会」という言葉がリフレインしている。 スケートに限らず、ありとあらゆることは、次があるとは限らないんだろう。
でもね、町田先生、またいつか(できれば早いうちに)また演技を見せてください。
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