++たらたら日記++

現在絶賛放置中。
感想等は基本毒吐き。
サイドメニューはプルダウン式です。
最近、コメントの表示に若干の不具合が出ていますが、
管理人にはきちんと届いています。

今さら今さら大阪四大陸ア・ペ・男ショート編

 やっぱり書くと長くなるんだよな、自分。

 今年のあれこれを書く前に、もう一年以上経っているけれど、これだけは吐き出しておきたい。
 大阪四大陸観戦のこと。
 細かく書きたいと思うとどうしても心理的に負担になって書けなかったので、一年過ぎてまだ脳にこびりついていることだけを。

 2013年2月8日。
 ペア・アイスダンス・男子ショートの日。
 ショートサイドの中段くらいというなかなかの良席。
 ご近所は感じの良いご婦人ばかり。
 天井カメラの発着点が近くてうるさかったことだけが難点かな。
 キスクラの様子もよく見えたし。
 一組一組スチルカメラに収めている人がいて、選手とコーチがポーズ取ってるのになごんだ。

 ペア・アイスダンスについてはあまり知らなくて、ゆえにあまり覚えてなくてごめんなさい。
 アイスダンスの良し悪しとかわからなくて、点の出方もさっぱりわからんかったけど、初めに出てきたカップルたちより、後の人たちのほうが、早くプログラムが終わる気がした。
 ペアは怪我で棄権組もあって、出場組数少なくてあっという間に終わった。
 ペンちゃんとハオ・ジャンの組(当時はまだ名前覚えてなくて「いがぐり」と新しいパートナーというネットで得た知識しかなかった)が終了後、キスクラでペンちゃんが甲斐甲斐しくジャージを渡したんだけど、どうやら逆だったらしく、取り替えて着ていたのを覚えている。

 男子は、持参した国旗を6分間練習の間に滑走順表を見ながら順番に並べ替えて、日本以外の全部振ってた。
 練習ろくに見られなかったことはもったいなかった。

 まず最初に印象深かったのは、フィリピンのマルチネスくん。
 フィギュアを見始めてすぐの頃から、フィリピンにスピンの上手なジュニアがいるという話は聞いていて、コロラド四大陸のカルーザくんを見たとき、彼のことだと思い込んでしまった。
 よく考えると、年齢もあわないし、アメリカ選手だったからそんなはずはないのにね。彼も体柔らかいし溌剌と若々しいから、つい。
 なので、マルチネスくんの名前を見て、フィリピンにはカルーザ君の他にも選手いるんだ、くらいの認識だった。
 で。
 ジャンプの前に毎回なぜかわざわざスピードを落としているのがもったいない感じだったけど、その他の技がすごかった。
 次から次へと繰り出される軟体技に客席は盛り上がり、最後のビールマンスピンに大歓声。その日最初のスタオベが起きた。
 私は、そうか、噂のフィリピンジュニアって彼のことだったのかと今さら気が付いた。

 そのカルーザ君なんだけど、ショートの演技は今一つ覚えていない。たぶんそれほど良くはなかったんだと思う。

 第2グループくらいまでは、ほのぼのと、とにかく演技がんばれ〜という気持ちで見ていたけど、第3グループあたりから6分間練習での滑りがグンとよくなってくる。
 試合……点数を争う競技なんだというピリピリとした空気も漂い始める。
 日本人選手が出てくると、応援合戦のような雰囲気になって、圧迫感さえ漂い始め、他の国の選手たちに申し訳ない感じがした。
 ショートサイドに座っていると、練習ですぐ目の前でビッグジャンプを跳んでくる選手が多くて、やっぱりここ良い席だなあとしみじみした。

 ところで、後日、「選手が滑ってるときのコーチ(モロゾフ氏やオーサー氏)の様子はどうだった?」と聞かれたけれど、選手見るのに一所懸命で、コーチの反応どころじゃないです、マジで。

 カザフスタンとウズベキスタンの国旗に注文殺到して品薄状態になったという(自分もカザフのが遅れて焦った)。
 そのカザフのアブザルは、生で見ると意外なほどスタイルが良くて、チャーミング。
 で、テン君はカザフカラーのクッションをもらってましたっけ。
 日本大好きミーシャ・ジーは、このたび念願の日本の試合。スパニッシュな曲で、相変わらずステップで客席を巻き込んで盛り上げていた。
 スケーターって氷の上では大きく見えるのに、リンクを降りると意外なほど小さい、ということがよくあるのだけれど、ミーシャは逆で、生で見るとこんなに大きい(というか嵩高い)っけ、と思った。童顔なのと、髪の毛がぼわんぼわんで頭大きく見えて、頭身が低く見えちゃうんだろう、たぶん。

 実はこのとき、敢えて誰を応援しているのかといえば、アメリカのロス・マイナー選手だった。
 札幌N杯でピッカピカの笑顔と北海道Tシャツを生で見てしまったら、応援せざるを得ませんて。
 12-13シーズンのN杯でも会心の演技で銅メダルをまた増やしていたマイナーさんなんだけれど……。事前練習のレポではかなり調子が悪そうという声が流れてきていた。
 6分間練習ではとても表情が硬く、何度もコーチのそばに寄っていっては何か話していた。でもそんな顔も男らしくてカッコイイとか思ってしまうのだから我ながらしょうがない。
 冒頭の4回転予定が2回転になったときは正直ああやっぱり、と思った。なんだか歯車が微妙に噛みあわなくなってしまっているような印象を受けた。
 キスクラでも硬い顔だったけれど、カメラを向けられたときにパアッと、ほんとにその場が輝くような笑顔を見せて、うわっとなった。やっぱりマイナーさんの笑顔好きなんですよ。
 ジャンプの抜けはあっても点数は高く出たのは、滑りの良さやステップ、スピンの質なんでしょうな。

 えーと、他に男子ショートで印象的だったこと……。

 イーワン君のジャンプはたぶんこの試合最初の4回転だった気がする。スパンと上に上がるジャンプがかっこよくて、衣装が体形によく似合っていて、なんか好きだと思った。

 パトさんの滑りに質が似ているという話を聞いていたハンヤンだけど、彼の滑りは磁石で引っ張られているようにシューッという感じ。靴にジェット噴射機をつけているようなパトリックのゴウゴウという滑りとはまたちょっと違う。

 羽生君は6分間練習のときにつんのめるような変なコケ方をして、かなりヒヤッとした。
 
 レイノルズは点数があまり出なくて、「エー」という声が客席から上がったけど、本人は静かにうんうんと頷いて納得しているようだった。国別でもこういう表情だったなと思った。ジャンプ刺さったんだろうし、そこはわかってるんだろうな、と。

 ナンソンはGPSで衝突・怪我という不運に見舞われていて、どんな調子だろうとハラハラして見ていたんだけど、とてもよく動いていて、力強く、格好良かった。
 滑り終わった直後、あのいかにもおとなしげなナンソンが、氷を叩いて喜びを爆発させる姿に胸がグッと来た。

 ああ、ほら、9日の話を書くまでたどり着かない。
2014年05月22日(木) (フィギュアスケート)

人はそれを沼というらしい

 フィギュア日本人選手については、特に誰をひいきという立場は取ってこなかったつもりでした。
 (……羽生くんをちょっぴり応援していた時期が無いわけではないのだけれど、ニースワールドで気持ちが昇華されたというかなんというか)
 誰かを応援するしないではなく、目の前の選手に声援を送ってきたつもりでした。
 でも13-14シーズンになって、とりわけ町田選手にどうしようもなく目が行くようになってしまいました。
 語録の所為、といえば、きっとそうなんでしょう。
 でも自分にとって所謂語録は笑えるネタではありませんでした。むしろ妙に共感し、すんなりと入ってくるものでした。自分もわりとポエミーだったり熟語使ったりする方なので(笑)
 四字熟語とかね、伊達に千年二千年の時を使われてるわけじゃなくて、使いどころを間違わなければ、簡潔かつ具体的に深く状況や心理を表現することができる。
 それに長い長いと言われるまっちーのインタで、四字熟語の語句としてのかっちりとした重たさはセンテンスの中で強弱を生み、全体をリズミカルにして聞きやすくすることに貢献している。と、思うのであります。
 まあとにかく、とにかく今シーズンは目を離せなくて。
 気が付くとずっと追っていて。
 大言壮語ではなく有言実行とする彼を追わずにいられなくて。
 全日本のフリーを見終わって泣いている自分がいました。

 全日本後の代表選手発表で……こういうことを書くのは本当はいけないのでしょうが、正直、自分はちょっと暗黒面に落ちかけました。
 選手は悪くない、けど。
 高橋選手の血に濡れたフリーはただただ美しいと思った、けど。
 けど……
 ……醜い思いに囚われていた私を、町田選手の出るからにはメダルを狙うという言葉がなぜか掬い上げてくれました。

 手元のiPhoneに、2011年5月のPIWで撮影した1枚の町田選手の写真があります。
 そのとき私は羽生くんがお目当てで、プレゼントも渡して。震災直後だったので羽生くんは本当に花とプレゼントにまみれ、写真も撮られまくりで、自分は緊張のあまりろくに撮れなくて。
 iPhoneを手にちょっとしょんぼりしていると、若干所在無げな様子で回ってきていた町田選手が、すっと、それは美しい立ち姿でポーズを取ってくれて、撮り収めました。
 「黒い瞳」薔薇ボトム衣装のそれは、間違いなくその日撮った中で一番よい写真でした。
 正直その頃は名前くらいしか知らなくて、でもその時見たドンストがとても楽しくて、3Aの高さにびっくりして。
 今思えば、意識し始めた最初でした。
 今シーズンになって、何度もその時の写真を見返しました。穏やかに柔らかく微笑む彼と、どんどんと精悍さを増していく、猛禽の眼をした彼が同一人物なのかとその都度不思議に思いました。
 でも、たぶん自分を追い込んで追い込んで追い込んだ五輪の試合が終わった後、町田選手の表情はふっとほどけて、柔らかさを湛え始めました。

 それからひと月後、世界選手権ペア&男子SPを生観戦しました。
 (本当はFSやEXのチケットを持っていたのだけれど、仕事の都合で断念)
 パトリックのいない世界選手権だったけれど、世界のいろいろな選手を見られるのはやはり楽しみだったし……町田選手を見ることがモチベーションになっていたことは否めない。

 ワールド観戦については、また別立てで書けたらいいのですが。

 あのエデンの東を会場で見られたことは、大阪四大陸でケヴィンのFSを見たことと同様に、私の財産となるでしょう。
 完璧な四回転三回転と、完璧な3Aの後、祈るように息をつめて曲を追っていました。
 ルッツがどうなるか……それが心にかかって。
 五輪SPでルッツを失敗したこと。たらればは良くないけれど、それが無ければメダルが取れたかもしれない。直後のインタで自分への怒りをあらわにし、後日、練習で飛ぶたびに心が痛み、失恋のようなものだと語っていたまっちー。
 どうか成功してくれ、心の傷を払拭してくれ、と祈っていたのは私だけではなかったはず。
 3lzが成功した瞬間の、雷のような場内の歓声を、私は忘れることはないでしょう。
 皆が演技が終わるのをうずうずと待ち、弾かれるように立ち上がったことも。
 キスクラに座った町田選手は足元のディスプレイを真剣に眺めていました。
 点数が出た後も、腰をおろし、順位が表示されたディスプレイを、じっと見つめていました。
 次のグループがリンクに出るようにアナウンスが流れ、我に返ったように立ち上がり、スタスタと立ち去っていく様子を双眼鏡でストーカーしていたことを告白いたします。

 札幌と大阪で見たショーのことはまた別に書ければ、と。

 PIWでまっちーが新作EXを披露したと聞いて、矢も盾もたまらずチケットを取り、宿も取れない状況のまま横浜へ。
 オープニングで、イナバウワーではけていくまっちー。
 群舞でひときわ細くて小さくて、一人腕の角度が違うまっちー、などと堪能。
 EXは、動きが大きいな、と。音に合わせて大きく体を使っているのがよくわかりました。
 ふれあいタイムで、3年前はどこか所在なさげだったのに、今年は瞬く間に花とプレゼントに埋もれ、丁寧に応対するせいで最後尾になるまっちー。
 いちいち小首をかしげてお礼を言うまっちー。
 なんか……絶対3年前より若くなってる気がするんですが?
2014年05月15日(木) (フィギュアスケート)

今さらソチ五輪とPさんの話

 生きてます。
 今年こそはもう少し書きたいとは嘘ばっかりで、また何か月も放置してしまいました。 やはり布団の中でも書ける(笑)ツイッターの手軽さには勝てないのか……。

 まあ、年が明けてこの半年近く、仕事以外はスケートに振り回されている日々でした。
 他には、酒や、綾野さんや、三国志(ていうか曹操)に自分のエネルギーを割り振っていた気がします。

 一つ一つ懇切丁寧に書き残すことはもう無理なので、印象に残った、どうしても書いておきたいことだけ書くとします。

 まず、避けては通れない、ソチオリンピックのこと。
 というか、パトリックのこと。

 頭では、パトリックも人間なんだから、オリンピックで失敗するかもしれないよね、とか、神演技券はTEBで使っちゃったのかも、とか自分の心理に保険をかけていたけれど、心の奥底では彼がオリンピックの金メダルを取るのだと信じていた。
 それ以外ありえないのだと。
 彼はあんなにも切望して、自分を変えて、取り組んできたのだから。

 でも。羽生くんも乱れた。
 パトリックも乱れた。
 二人とも、人間だった。

 乱れに乱れた演技が終わったとき、パトリックの表情はむしろホッとしたように思えた。

 パトリックが銀で終わったことが信じられなくて。
 パトリックは目を潤ませながらも観客に応え、勝者を讃えていた。
 銀……素晴らしい成績、だけれど。
 パトリックは金でなきゃ。
 世間はオリンピックの金メダリストの名前しか憶えないだろう。
 パトリックは失われたカナダでのフィギュアスケートへの関心を再び呼び起こすため、金を取らなければいけない、はずだった。
 スケーティングと高難度ジャンプの両輪で、バンクーバー後の男子フィギュア界の先頭を何年も駆け続け、技術の底上げを即してきたのは彼だったのに。
 金を取らなきゃ、特にフィギュアに関心のある層以外に彼は知られず、彼の業績が知られることもない。

 ……でも。
 パトリックが実質、男子フィギュアを引っ張ってきたこと、その事実は変わらない。
 消えはしない。
 少なくとも、私は知っている。
 トリノワールド直後、パトリックとカートが話しながらそぞろ歩いている動画で、カートが繰り返し"I'm proud of you."と繰り返す声が耳に響いてきた。
 自分の中にどうしようもなく思いが込み上げてきた。
 「愛しています」「あなたを誇りに思います」と繰り返しツイッターに書き込んだ。
 ただ、ただ、そう書かずにはいられなかった。

 その後、数日は泣き暮らした。
 言葉のあやではなく、スポーツ記事を読んだり、さまざまな画像を保存したりしながら、ポロポロと涙を流し、時には嗚咽した。
 (ありがたいことに、ダンナは妻の奇行を見て見ぬふりをしてくれた)
 メダルセレモニーでパトリックが一瞬見せる寂しそうな影に泣き、残りの日程を笑顔で過ごしている様子にさらに泣いた。
 とにかくパトリックのことが案じられてならなかった。
 カナダ念願の男子金を持ち帰ることができず、マスコミや関係者やファンからどのような扱いを受けるだろうか。
 スポンサーや後援団体がすっかり手を引いて、経済的に苦境に立たされるのではないか。
 そしてなにより、手の中につかみかけた金メダルを自分のミスで手放してしまったことで、パトリックがこの先何年も、何十年も、後悔に苦しみ続けるのではないか、と。
 実際、眠れぬ夜を過ごしたらしいことも伝わってきた。
 年齢的な事からして、次の五輪で金を狙うのは無理だろう。疲れ果てているであろうパトリックが、このまま競技から去る可能性も十分にあったが、正直それはあまり自分の中で問題ではなかった。もちろん現役で滑るのを見ていたい、引退したら寂しい、けど、彼の気持ちが何より第一だった。

 やがて、五輪は閉幕する。
 北米へ戻ったパトリックの様子も伝わってくる。
 マスコミからの批判はやはりあったようだが、カナダの人たちは思っていたよりずっとあたたかく彼を出迎えていたようだった。
 二つの銀メダルを首から下げ、晴れやかに笑うパトリックの写真が何枚も届いた。
 涙の淵に浸ってしまった自分より、さっさとパトリックは前に歩み始めていた。
 でも、折れてしまった心はなかなか戻らず、出場するかどうか半信半疑ながら入手した札幌のショーのチケットを支えに過ごす日々をしばらく過ごすことになる。

 さて。
 不思議なことに、五輪後、パトリックの人気が上昇したようだった。
 さんざん理不尽なバッシングを目の当たりにした身からすると、日本人選手に立ちはだかるヒール役から負けて降板したからじゃないかと捻くれた思いもつい湧いた。
 どんなに嫌われてもいいから勝ってほしかった、とも思った。
 それでも自分の視野に、パトリックを好きだ公言する人の姿が次々と入ってきた。
 五輪で彼を知り、試合直後やセレモニーでの紳士的な立派な態度に感銘を受けた人。
 あるいは前から知っていたけれど、彼が去るかもしれない(少なくとも世界選手権には出ない)寂しさに、今さらのように思いに気付いた人など。
 若干複雑ではあるけれども、魅力に気づいてくれたのなら、今ならまだショーであっても彼の滑りを生で見る機会があるのだから、その幸運を享受してほしい。
 パトリックの滑りは見るものを幸せにしてくれるのだから。
2014年05月14日(水) (フィギュアスケート)

OR AND
スペースで区切って複数指定可能
<< 2014年05月 >>
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31

最新の記事

OR AND
スペースで区切って複数指定可能

[Admin] [TOP]
shiromuku(fs6)DIARY version 2.30