++たらたら日記++

現在絶賛放置中。
感想等は基本毒吐き。
サイドメニューはプルダウン式です。
最近、コメントの表示に若干の不具合が出ていますが、
管理人にはきちんと届いています。

YOI第10話を見て

 なんか色々書いてすみませんでした、と謝りたい気分。(消さないけど)
 作り手は、勇利の世界が狭いことを十分承知の上で話作ってるんだな、と。

 噂の指輪の場面、びっくりするくらい冷静に見ている自分がいた。感謝とか好意とかを形あるもので伝えたい、繋がりも見える形で感じたい、とするとああなったんだな、と。
 自分で見て取ったものと、ふじょしの皆さんが受け取ったものが一緒なのか違うのかわからない。
 仮に同じものだとしても自分は「尊い…!」とか「ムリ、マジ、死ぬ!」とかなるメンタリティは持ち合わせていないが。

 9話までの狭く閉じていた勇利の視点からヴィクトルの視点に代わり、世界は広がりを見せる。
 1年前のGPFの時点で、勇利は(本人自覚なしに)熱い自分をさらけ出し、他のスケーターたちに印象を残していた。勇利が思うよりずっと選手たちは勇利のことを見ていて、彼が今度はつまづかずに自分のそばに立つことを待っていたのだろう。
 指輪騒ぎ、スケーターたちは「金を獲って完成」という言葉のほうに反応していた。それぞれ思うところは違うだろうけど、みんなアスリートの顔だった。
 最後に勇利が見せるのも、初めて見るアスリートの目だった。

 「ヴィクトルによって愛を知り」という言葉の狭義はおいておこう。自己評価が低すぎて、そのせいで各方面にかなりの迷惑&失礼かましていた勇利が、唯一心の窓を開けていた相手による信認を得て、ようやくより広い世界に目を向けようとしているってことなのかな。
2016年12月12日(月) (日記)

なにごともなかったかのように日記を書く

 半年ぶり?
 気にしない気にしない。

 ひさしぶりに連休になったので、宿を取って飲みに繰り出す。

 出がけについついぐずぐずしてしまうから、時間をロスする。

 なじみの居酒屋、臨時店長(グループ統括)が、系列店に通い始めたころから顔見知りだった店員さんの最後の一人になってしまった。ずっと人の入れ替わりを見てきたわけで、さみしい思いもその都度。
 実は統括が元ビジュアル系バンドのメンバーだったという衝撃の事実を知ったのは昨年末のこと。
 BGMの演歌の中に時折いかにもバンド系の曲が混じると(○山さんのターン!)と脳内で勝手にナレーションしてしまう。
 バイトくんはだいぶ客とのおしゃべりになれてきたようです。
 えらくテキパキした女性がいると思ったら、系列店からのヘルプでした。そっちのお店にはめったに行かないもので。噂は聞いてますとか言われたけど、なによ噂って。

 最近よく二日酔いになる。ほんと弱い。

 今日は何にも予定入れてなかったのでどう過ごそうかと思ってたんだけど、文具と本屋で大散財。
 四条十字屋にもあらためて行ってみたけど、売り場のごく一部となってしまったCDはジャズ8:ポップス1:その他1って感じ。クラシックは三条のみの取り扱いになったそうだ。
 かさばるのが嫌だからともうずいぶんとダウンロード購入ばかりの自分が言える立場ではないけど、本当に時代が変わったんだなと。胸が痛くなって、予定外にCDを買ってしまった。
 人へのプレゼントも買えたし、まあ充実した買い物日だった。足と肩痛いけど。
 そうそう、小銭入れと札入れとトートを買ったラクエの和風雑貨店が無くなっていた。自分が気に入ったお店の潰れる率の高さにへこむわ。


 ところで、たかひこさんは本当に氷上から遠ざかってしまうのかな。ひと月後の本人の声を聞いてみないとわからんね。なるべく多くのファンが行けるといいなとは思うけど、最前列譲ってくれくれというのはさすがにどうかと思うよ。

 他にも何か書きたいことあった気がするけど思いだせないからいいや。
 ひさしぶりにキーボードで100文字以上打つと、打ち間違いだらけで嫌になる。

2016年03月16日(水) (日記)

すきなことを ほのほのと

この数日、オリンピックシーズンの町田選手の演技を一つ一つ見直している。
自分がファンだと自覚してからは初めて。
実況の過去ログも漁って、見つつ読む。
ひさしぶりだと楽しい。
仕事が土日にあることもあって、録画だけして置いて塩漬けということがほとんどだけど、録っておいてよかった。

そして最近になって、ようやくエッジジャンプとトウジャンプが見分けられるようになってきた。何度も何度もまっちーのルッツを見たせいかもしれない。

なんか仕事では思考停止したくなるくらい真っくらけなんだけど。

ほのほのと好きな人を見に行ったり、好きな酒を飲みに行ったりしている自分は幸せなんだと思う。
好きな人や好きなことがあるというのはありがたいことだと思う。

先週は好きな歌い手さんのライブを見に行って、あまりの近さに挙動不審になってしまった。
かわいくてかっこよくてやっぱりかわいいあの方を間近でガン見とか、私は最近いろいろ運を使い過ぎだと思う。
こういうときはいつも、帰りに何かあったらどうしようかと心配になるw
2015年09月15日(火) (日記)

秋風の頃にふと立ち止まり

ここんとこずっとツイッターで脳内垂れ流ししてきた。
便利だし早いし、ふとんの中でも、出先でも、それこそ酒飲みながらでも更新できるから、なにか気持ちが高まったり、思うことが凝ったときは表出するツールとして、生活の一部になっていた。
でも、自分で自分の発言を見返そうとしても、たどるのが面倒だし、古すぎるとたどり着かない。
不便すぎる。
思うことを140字にまとめるのも、思考だらだら系の自分には、いい訓練ではあったけど、ちょっと言い足りないことが多い。

短文投稿との対比を考えて、ツイッターに比べてここではきちんとした長文を書かなきゃ、まともなこと書かなきゃ、というプレッシャーがいつの間にかできていて、敷居が高くなってしまっていたけど、もう少し、ツイッターとあまり変わらないいい加減さで、文章を吐き散らしていっていいのかもしれない。

あと、ツイッターでは幸いにして、フォロワーの方が私なんかにもそこそこついてくださって、つながりがあるのはとても嬉しいし楽しいけれど、あまり下手なことを言えないという面も出てきた。
今となっては、ここを見る人なんて誰もいないのだから、誰もいないから伸び伸びと、好き放題しようかな、と。

ただの日記です。
ここは。
ただの日記。
今は誰に見られることもない。
2015年09月15日(火) (日記)

年末のごあいさつ

おひさしぶりです。
結局ほどんど更新することも無く、今年も終わろうとしています。
例によって連れ合いの実家で、若干の暇をもてあまし、パソコンを借りています。

今年の個人的に大きかった出来事。
4月に職場が変わりました。
……まあ色々あります。自分の情けなさを思い知る毎日です。
そして、10月に義母が亡くなりました。
前日まで普通にメールでやり取りしていて、あまりに急なことに言葉もなく。
この年末は恒例の餅つきもなく、静かです。
しばらくは義母の気配に満ちていたこの家も、少しずつその不在に慣れてきているようです。

11月には高速で事故りました。
カーブでスピンして、中央分離帯にのりあげました。
誰も巻き込まず、かすり傷一つ無く。
くるくると車体が回っているときに思ったことは、ずっとダンナの横に乗っていて事故無かったのに、とうとうそういうときが来てしまったのか、と。
怖くはなかった。
ダンナと一緒に逝くのかと思ったから。

そんなこんなで。
人はこんなにもあっさりと、渡ってしまうのか、と。
少し、自分の何かが変わったような気がします。

あっさりと立ち去ってしまう前に、積み残したことを少しでも片付けたいな、と。
そんなことを思っている年の瀬です。

さて、数年に一度年末にPC事情報告してる気がしますが、数年来使っているPCが一台電源入らなくなりました。
データ類はすでにもう一台に移行しているのですが、それにしか入れていないプログラムが多数。
特に、FTP類。設定とか覚えさせてほとんどクリック一つで済むようにしていたから、サイトの更新がただいま出来ない状態です。ずっとしてなかったけど。
実はダンナがコツコツと新しいPCを私のために組んでいたので、それでPCが拗ねてしまったのかなと思う次第。物に付いた魂って馬鹿にしたものじゃないと思うのですよ。付喪神。
2014年12月31日(水) (日記)

生まれて初めての海外旅行

 実は生まれてこのかた外国に行ったことが無かった。
 新婚旅行も、当時ハマっていた沖縄。(島唄のCDなどを集めていたクチ)
 最近ダンナが仕事で東南アジア方面に何度か出張し、初めての海外旅行にこのあたりから始めては、と提案されていた。
 というわけで夏休み(少し遅いけど)を調整して、9月7日からダンナと義母とマレーシアへ。(義父は飼犬を放っておけないとお留守番)

 飛行機乗り換えなしの7時間フライトなので、たいしたこと無い部類なんだろうけど、なんかもう2時間くらいの時点でウッキーと叫んで暴れまわりたくなった(苦笑)
 遠征を繰り返すスケート選手やおっかけファンとか、大変なんだなあとしみじみ思い知った次第。


 最初旅行の内容を逐一書きかけていたんだけど、長くなり過ぎそうだったので、印象をまとめて。

 旅行先をマレーシアにしたのは飛行機の乗り換えしなくてもよくて、そこそこ都会で、そこそこ安全で、そこそこ英語が通じるから。(私はしゃべれないのでダンナ頼み。オプショナルツアーは現地の日本語話せるガイドさんがついてくれる)

 ガイドさんたちの話によると人口の7割程度がマレー系(イスラム教徒)、2割が中華系、1割がインド系他らしいんだけど、空港やホテルのロビーや屋台のレジ前で新聞を広げている人たちはほぼ全員漢字のを読んでた。食事でおすすめされたのも中華系ばっかだった。つまりはそういうことらしい。マレー系優遇の政策もとられているらしいけど、多民族国家の問題ってピンとこない。

 オプショナルツアーでマラッカ方面に行ったけど、ポルトガル支配時代の建造物、オランダ〜、イギリス〜……、となんだか世界史のおさらいをしている気分に。世界の覇権の移り変わりが一目でって感じ。中華系の富豪の邸宅も見たけど、うちのダンナは蒸気式の扇風機を見てたぶんこの旅行で一番テンション上げてた(笑)

 ホテルは広くていい部屋だった。朝食バイキングもおいしくてうまうま。

 屋台通りに行ったけど、一昔前の日本って雑然さが懐かしい感じ。一時期不適切写真アップ騒ぎとかあったけど、日本人は神経質すぎるよなって気分になった。

 ところで、関西のおばちゃん最強説。
 義母はまったく英語が話せないにもかかわらず、身振り手振りと勢いでどこでも現地の人と交渉し、屋台の席を替えてもらったり、売店でドライフルーツの味見をしたり、とバッチリ意思疎通していた。
 
 日本に帰ってきて改めて感じたこと。
 日本のトイレ最強。
 どこも日本語しか書いていない。
 ほぼ日本人しかいない。
2014年01月11日(土) (日記)

映画「パシフィック・リム」

 ではでは、また思いだしては書き、に戻ります。

 9月2日(月)
 「パシフィック・リム」3D吹替版を見に行く。

 夏に入り、ツイッターの自分のタイムラインに一つの映画のタイトルが流れ始める。
 それが、ニコニコ方面からも、映画方面からも、オタク方面からも、とにかくあらゆるクラスタから流れてくる。
 それが「パシフィック・リム」
 夏前にちらりと予告編は見た記憶があるけれど、「怪獣とロボットかあ、また変な取り合わせで妙な画づらだな、ハリウッド産じゃ期待も出来ないな」とか思っただけだった。
 しかし、タイムラインが妙に熱い。単に面白かったという感想じゃなくて、胸の滾りを抑え切れず、どうか皆見てくれ!という叫びに満ちている。
 正直、迷った。
 自分は古い人間だ。
 最近のハリウッドの超アクション巨編、CG&スピード感バリバリ、畳み掛けるサスペンス!な奴にまるで付いていけていない。
 でもって、最近の日本のオタクのトレンドもわからない。巨大な何かというとヱヴァTV版あたりで止まっている。
 巨大なんとかっつって、ウルトラマンエースやタロウ、マジンガーZをリアルタイム、大学で初代ゴジラ見たくらいの人間なんですけど、いいんですかね。
 とか思いながら、まあ騙されたつもりで見に行った。

 むしろ、ド真ん中だった。
 初代マンやセブンには間に合わなかったけどエースをリアルタイムで追い、小児科の待合室のウルトラ怪獣ビニール人形で遊び(買ってもらえなかったから)、超合金Zを欲しいと駄々をこねてあんなものチャチだと親にあしらわれた自分にこそ、直球ド真ん中な映画だった。
 最近の美麗な映画に足りないもの、それはこの重量感だったんだ!と脳内で叫びまくった。
 ズズーン
 ドカーン
 ブァッシャー
 そんな擬音がひたすら続く。
 巨大な機体がヘリから切り離されて落下するとき、遊園地のアトラクションで落とされるときの腹の底がひゅーっとなる感覚がよみがえり、それだけでもこの映画は評価されるべきだと思った。

 7年前に、一人の造形作家が個人で作った鉄製スコープドッグ(byボトムズ)を見たとき、せいぜい3メートルの鉄の塊の、圧倒的な重量感に打ちのめされた感覚が思い出されてならなかった。

 そしてクリムゾン・タイフーンを見て、名張の五つ、とかつぶやいてしまったのはさすがに色々外し過ぎている自分。

 9月17日には2D字幕版も見に行く。
 やっぱり「モリサン、チョット オサエテ」は押さえておかないとね。
2014年01月09日(木) (日記)

謹賀新年

 昨年はほとんど更新できませんでしたが、足を運んでくださった皆様、ありがとうございました。
 最近ようやっと文を打つリズムを取り戻しつつあるので、もう少しなんとかしたいと思っています。


 さて、年も改まったので、思い出しては日記を書き、をちょっと中断して、この年末年始の過ごし方などを。

 世間は9連休のところが多かったようですが、自分は普通に28日が仕事納め。
 で、毎年なら30日にダンナの実家で餅つきなので、29日に酒・焼酎、猪肉・鹿肉を買い込んで帰省するのですが、この年末は一日前倒しになり、仕事から帰ってきてから着替えとお年玉セットのみ用意し、翌朝日の出とともに出立。到着したときにはもう準備が始まっていました。
 業者にプロパンガス1本とコンロを借り、大きな鉄釜に湯をゴンゴンと沸かし、セイロ四つ重ねてもち米を蒸します。蒸し上がった米を石臼に移し、木の杵で(だいたい2人がかりで)つきます。
 米は前夜から水に浸しておきます。大人の腰くらいまであるポリバケツ3〜4個分の米をつくので、毎年朝から日が傾くまでかかります。
 
 ダンナはだいたい火の番。以前はプロパンではなく廃材を使って焚火していたのでつききりで火の世話をしていましたが、今はわりと楽な仕事になりました。

 杵振り下ろす搗き手は体力勝負ですが、交代要員はそれなりにいますし、高齢化を心配していたら、ダンナのいとこの子どもたちがそろそろ戦力になってきました。
 餅を丸める係もどっさりいます。
 問題は、お水取り。
 搗き手に声をかけ、適宜水を付けながら餅を回し、出来具合を左右する、全体のコントロール係です。
 この役をできるのは3人ほどで、ずっと中腰で腕の力も使うのに、なかなか交代できません。
 できることなら自分もお水取りができるようになれば、とここ数年思っているのですが、仕事の関係か左手首がいつも痛み、ここ最近は風呂場で洗面器を持てない状態。
 ところが、この年末はいつもメインのお水取り役の人が風邪でダウン。
 2人で何十臼も回すのはちときつそうなので、近くのドラッグストアまで走り、サポーターを買って手首を固め、ダンナの歳の近いいとこが餅を回すのを観察していました。
 義理のいとこが腰の痛みを訴えた時点で参入することに。
 事細かにアドバイスを受けながら、ゆっくりと始めました。一昨年とかに試しに入ったときはビビりまくって搗き手のタイミングを狂わせ、何度か杵に叩かれそうになりましたから。
 先生が良かったからか、それなりに形になるように。

 しかし、そのあと、とんでもない失態をやらかしました。
 何臼か回した後、義理のいとこと交代して、適当に腹ごしらえをしようと不用意に餅をついているすぐそばを横切り、焦ったいとこがタイミングを狂わせて手を杵で打たれてしまったのでした。
 自分のせいで怪我をさせたとパニックになり泣き出してしまった私を、いとこは一言も責めずに、自分のせいだから気にすることはない、としきりに慰めてくれました。
 戦線離脱したいとこの代わりに、あとの臼はほとんど受け持ちました。
 気が張っていたのか、腰も手首も腕も、ほとんど痛みを感じませんでした。
 たぶん15〜20臼は回した気がします。
 白モチ、海老を入れた赤モチ、ヨモギモチ、うるう米を多めにした「のしモチ」の黒豆入り、昆布入り、胡麻入り……
 頭のてっぺんから足先まで飛び散ったもち米を浴びた状態。

 コンロの火力が高めだったのと、風邪でリタイヤしたおうちの分が少なかったため、例年より早めに終了。モチだらけのあれやこれやを洗って片づけ。
 その後、お義母さんがあちこちに配るためにお餅を袋に小分けするをいつもは手伝うのですが、今回はバッタリとダウン。

 翌日、筋肉痛になったのは腰でも腕でもなく、腕の付け根というか胸の上部というか、よくボディビルダーの方々がこれみよがしにピクピクさせている箇所がパンパンになりました。

 30日は取り立てて用事もなく、ちょっと買い出しに。ダンナは自分の机と椅子を持っているけれど、私はフローリングに直座りなので、ダンナの部屋の中に自らの身の置き所を作るべく、座椅子と座布団を購入。
 その晩は家から持ってきたパシフィック・リムのブルーレイを視聴。さっそく座椅子にもたれて見ていました。
 パシリムのダンナの感想はまあまずまずといったところ。
 本人いわく、「○ヶ月後」の表示が印象に残ったらしく、その晩、夢にしては珍しく、きちんと話の筋道が立ってオチのついた夢を見たとのこと。

 大みそかはお年玉の準備などをしつつゆるりと過ぎ、あけて元旦。
 例年カニ鍋パーティなのですが、今年は風邪だなんだと集まりが悪く、寂しい状態。
 小さかったダンナの従妹がいつの間にか佳い娘さんになっていることに気付いて驚愕する。

 2日は例によって歩いて半時間の住吉大社に初詣。
 穏やかな日和のせいか、近年まれにみる人出の多さ。
 ここのおみくじの凶の引きやすさはわきまえていたつもりだけど、今年は大凶が出ました。しかもお義母さんも。
 年女なこともあり、厄払いも兼ねて、今年はいつもはスルーするお札や飾りを張り切って購入。

 出店の景品の傾向を見るのが毎年の楽しみだけれど、長年リラックマの天下が続いていて、去年突如なめこが乱入……と思っていたら、今年はクマモンほかゆるキャラも入り乱れ、なかなかカオス。
 食べ物の屋台は去年あたりから妙にブランド化というかなんというか。
 ベビーカステラひとつとっても、「大阪の有名菓子本舗、○○堂の〜」「京都○○庵直売〜」みたいな少しオシャレデザインのテントが並ぶ。
 変わり種だと、仙台の牛タン(やたら暇そうだったので買ってみたがコストパフォーマンスはまあまあ)や、韓国の宮廷菓子など。
 そしてダンナの好物の焼きギンナンは今年も発見できず。

 2日のうちに帰宅し、3日はのんびり。
 せっせと2ちゃんのたまったログを読んだり、HDDの整理に勤しむ嫁を、せっかくの休みなのに構わなくていいのかな〜と心配そうに眺めつつ、結局そっと放置してくれるダンナであった。

 土日は仕事。
 そして世の皆様が仕事始めやだ〜とかつぶやく月曜にぬくぬくとオフトゥンの中。
 せっせとHDDを整理しつつ、パトさん金メダルを心中でそっと願う週休であります。
 あ、五輪の前に、俺たちのマイナーさん、全米で好演技祈願。
2014年01月07日(火) (日記)

こんにちは、そしてさよなら、ていぱーく

 今年のことは今年のうちに……書き上がりそうにもありませんが、まあ悪あがき。

 8月27日(火)
 Twitterでひょんなことからその存在と8月末で閉館することを知り、一度訪れてみたいと思っていた逓信総合博物館(通称ていぱーく)へ、滑り込みで訪れる。
 入館料は110円だったかな。
 夏休み中とあって、1階部分は子どもが参加できる体験型のコーナーがいくつも。トリックアートパズルとか瞬発力測定装置とか。親子連れで驚くほどにぎわっていました。
 2階は企画展示コーナーと電信電話の歴史に関する展示。企画は絵手紙ならぬ絵封筒。切手を巧みにデザインに取り入れていてアイデアに脱帽。花をモチーフにした切手を並べて花壇風、鳥の楽園、金魚の泳ぐ水槽エトセトラ。
 電話コーナーでは、子どもたちが今となっては見ることも無いダイヤル式電話を手に、慣れない手つきでジーコロジーコロして「もしもし」とかけ合っていました。(展示電話間でだけ通じるようになっていた)
 なんだかその姿が、こういう施設における子どもたちの姿として、非常に正しいものを見ている気がして、勝手に浸っていました。

 小学生の頃、ごくたまに、百円玉数枚を握り締め、電車で3駅の青少年科学センターへ友人と出かけ、プラネタリウムを楽しむほか、とにかく一日遊び過ごした、その気分がよみがえってきます。

 のんびりゆっくり2階を見学し、3階の郵便コーナーを目にして、時間配分を間違えたことに気づきました。展示の質と量が圧倒的。すさまじい情報量にふらふらになりました。
 途中で一度食事に抜けて再挑戦(無論、もう一度入館料を払いなおしました)
 ポストひとつでも世界の各種のから、日本の歴史を追って並べてるのから……
 残り時間を気にしながら駆け足で見て回り、最後の最後で待ち構えているラスボス、世界の切手コーナー。
 あれ見るだけで何日だって費やせるでしょう。
 とりあえず念願だったチェコの切手を必死に見終わったところでタイムオーバー。
 職員の方々が玄関でお見送りしてくださいましたが、初老の男性が「もったいない、なんとか残せないのか」と訴えていらっしゃいました。
 いやしかし、まさか本当に丸一日過ごせるとは思わなかったですよ、ていぱーく。
2013年12月31日(火) (日記)

百物語と川床と

 まだまだ書き終わらない個人的イベント。

 8月5日(月)
 ダンナの会社で京都の懐石の席を安くあっせんしていたので、高雄の川床での夕食に自分の両親も誘った。
 送迎バスもあったけど、車で行くことにして、両親は途中の二条駅で拾うことに。

 で、当日早めに出て何をしたかというと、京都国際マンガミュージアム(以降えむえむ)で「百物語の館」なるイベントが開催されるというのでそれを聞きに行ったのだった。
 要するに大学の研究室の学生さんによる怪談語りである。

 ダンナはえむえむは初めて。
 諸星大二郎原画展が藤田和日郎セレクションに切り替わっていたのでまずはじっくりと見学。
 前回の高橋葉介セレクションのとダブってるのもあった。縄文少女とか。
 でも、全体に少女の絵が多かった高橋セレクトに対して、竜児女とか闇の鶯の山母が選ばれていて、大人の女性率が高い感じがしたのが選者による違いというものでしょうか。

 百物語の会場は和室。普段は畳の上には上がれない部屋で、えむえむが元小学校なのでたぶん作法勉強の場所だったんだと思う。
 学生さんたちがいろいろと飾り付けに工夫して、衣装もそれっぽくして、雰囲気づくりに頑張っていました。地獄図がかけられていたり、髑髏の照明が置かれていたり。
 語り手の学生がうつむき気味にしずしずと出てきて、経典のように折りたたまれた文章を朗読……したのですが、一人目のお兄さんが後半噛み噛みで、退場時に演出じゃなくリアルショボーン状態でうなだれていました(^^;; ちなみに内容は渡辺綱と鬼の腕の話。
 二人目のお姉さんは凄くアニメ声で、許婚が生まれ変わった話。やたら男に都合がいいというか娘さんが気の毒だったけど昔の話だしこんなものかと。
 三人目のお姉さんは現代の話。3つの中では唯一ゾッとする系。表現のブレのせいで状況が分かりにくかったとダンナがうるさい。そこは雰囲気で聞いてりゃよかろうに。

 百物語終了後、両親との待ち合わせまで少し時間があったので、自由行動として、私は特集展示のバレエマンガの部屋へ。
 今はどうだか知らないけれど、自分が子供のころは小学館の学年別漫画雑誌などに、必ず一つはバレエを題材にした漫画が載っていたものだった。今思うとかなりトンデモというかいいかげんというか行き当たりばったりなものもあったけど。貧乏な母子家庭の少女(←当時の漫画のほぼお約束)がトウシューズ欲しさに牛乳配達でお金を貯めて手に入れた…と思ったらそれはお金持ちの少女が見ていた夢で、病弱なお嬢様はまた踊りたくなったわと河原で衣装つけて舞っていたら穴に落ちて行方不明になって、知らない人(もちろんバレエ関係者)に救助されたら記憶喪失になってた代わりに病気の設定がどっか行った、とか。
 まあそんな漫画に触発されて小学生の時に数年バレエを習っていたこともあるんですけどね。どへたくそでしたが。
 そんなこんなの記憶を蘇らせつつ、バレエそのものについての展示やバレエマンガの系譜を楽しく見ていましたら、建物全体を揺るがす雷の轟音と雨音。
 実は私もダンナも雨女に雨男なので、またやっちまったかな……と。
 でも両親ピックアップしたときにはやんでてよかった。

 車を走らせて、どんどんと山の中のほうへ。
 同じ川床と書いても「ゆか」だと鴨川べり、「とこ」だと貴船や高雄なのです。なんでか知らんけど。
 豪雨で川が増量してだいぶ濁っていたけれど、床自体は屋根があったし、じきに暗くなったので実はあまり問題なし。
 懐石料理をいただきつつ、メインは舞妓さんの来訪ですよ。
 テーブル一つ一つに回ってきてくれてお話をして、写真も撮らせてもらえました。
 小唄に合わせた踊りも披露されたけど、母が小唄を一緒に口ずさんでいた。楽しげだったので、誘ってよかったとしみじみ。
2013年11月11日(月) (日記)

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