なんか色々書いてすみませんでした、と謝りたい気分。(消さないけど) 作り手は、勇利の世界が狭いことを十分承知の上で話作ってるんだな、と。
噂の指輪の場面、びっくりするくらい冷静に見ている自分がいた。感謝とか好意とかを形あるもので伝えたい、繋がりも見える形で感じたい、とするとああなったんだな、と。 自分で見て取ったものと、ふじょしの皆さんが受け取ったものが一緒なのか違うのかわからない。 仮に同じものだとしても自分は「尊い…!」とか「ムリ、マジ、死ぬ!」とかなるメンタリティは持ち合わせていないが。
9話までの狭く閉じていた勇利の視点からヴィクトルの視点に代わり、世界は広がりを見せる。 1年前のGPFの時点で、勇利は(本人自覚なしに)熱い自分をさらけ出し、他のスケーターたちに印象を残していた。勇利が思うよりずっと選手たちは勇利のことを見ていて、彼が今度はつまづかずに自分のそばに立つことを待っていたのだろう。 指輪騒ぎ、スケーターたちは「金を獲って完成」という言葉のほうに反応していた。それぞれ思うところは違うだろうけど、みんなアスリートの顔だった。 最後に勇利が見せるのも、初めて見るアスリートの目だった。
「ヴィクトルによって愛を知り」という言葉の狭義はおいておこう。自己評価が低すぎて、そのせいで各方面にかなりの迷惑&失礼かましていた勇利が、唯一心の窓を開けていた相手による信認を得て、ようやくより広い世界に目を向けようとしているってことなのかな。
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