最近番組感想以外の文章をほとんど書いていないなあ……。 書かなきゃならない創作があるのはわかっているのですが、自分どうも二次SSというのは何か「降りてきて」ないと書けなくて。 というかそもそも、もう文章の書き方自体を忘れてしまったような。 リハビリしたいよなあ、と思っていて、以前につけたブックマークを思い出しました。 MOON SPARKさんの「物書きさんへ漢字100のお題」 いえ、まだ30×3のお題がほぼ手つかずなのは重々承知なんですけどね。あれは自分にとってジャンル外のSSを押し込める枠組みだから……。 漢字のお題、規定で散文でもよいとのことだったので、基本フリートーク、たまにポエムもどきやSS混ぜて、気楽に書いていこうかなと。何かが降ってくるのを待つのではなく、それぞれの言葉を触媒にして自分の中から出てきたものを。 変にページにしようと気張らずに、ここに適当にあげていきます。
とりあえず一つ目。 思い切りフリートーク。
泡沫という言葉を見てまず思い出すのは、鴨長明の方丈記の出だし。 高校1年のときの国語教師が生徒になんでも暗記させる人で、平家物語も徒然草も冒頭を覚えさせられた。史記の項羽本紀の四面楚歌のくだりは漢字書かされた。白文に返り点打って。
よどみに浮かぶうたかたはかつ消えかつ結びてひさしくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかとまたかくのごとし。 記憶だけで書いてるから間違ってるかも。でもここはあえて確認しない。 で、もう少し後に
朝に死に夕に生まるるならい とくるのだけれど、生死の順が普通に考えるのと逆なのは、泡が消え→結ぶのと対応しているのだそうな。 この国語ティーチャーは本当に個性的な人で、印象に残ったことを書き出すと30や40普通にネタが出てきそうだ。 まあとにかく、無常観にあふれる方丈記だけれど、言葉の統一感のためにしろ、生死の順が逆転している……死の後に生が訪れるという表現にほんのりと、ほんとにほんのりとだけ明るさが含まれているように思った四半世紀前のこと。
次に思い出したのは、やはり高校時代に読んでいた雑誌「コミックトム」のコラムのこと。もっとも就職しても結婚しても読み続けてたので正確な時期は思い出せないのだけれど。 コミックトムはコラム類もけっこう充実してたんだけど、そのなかに「日々の泡」というエッセイがあった。たしか、誰かは思い出せないけど小説家が書いていた。コラムの内容もほとんど記憶にないのだけれど、連載一回目でコラムタイトルの由来を語っていたのだけ覚えている。「日々の泡」というのはとあるフランス小説の邦題らしい。ガチゴチの直訳で、本来なら「泡沫の日々」とすべきなのだが、コラムの筆者はその題が妙に気に入っているということだった。 そんなことが自分の中にひっかかっていて、以前ちょっとだけ試しに使ってみたニフティの日記のタイトルは「日々の泡」にした。ぽつりぽつりと一日の終わりに吐き出す言葉を表すには悪くない表現ではなかろうか。
3つ目に思い出したのはアンデルセンの人魚姫。人魚は人間の何倍も長生きなかわりに、魂を持たないために死ねば海の泡となるのだという。人魚姫の物語は誰でも知ってるとおり報われない悲恋なわけだが、子ども心に胸に残ったのは海の底の世界を描く色彩にあふれた表現の数々と、「魂」に対する強烈なこだわりだった。アンデルセンの他の作品も色々読んだうえで思った事は、「抹香臭いなあ」と(笑) ちいさな人魚の姫は結局泡にもならず魂も持たず、風の精のひとりとして働く事で百年先の魂を約束されるのだけれど。
配布元:「物書きさんへ漢字100のお題」
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