16日には美術館の後、映画「おおかみこどもの雨と雪」を見てきました。 面白く、楽しく見たのですが、見終わって色々と思うところもありました。 おおまかに言うと、カタルシスの不在と、「嘘」のつきかたのバランス、でしょうか。
まず前者のカタルシスの不在、ですが、簡単な言い方をすると「倒すべき敵がいない」のです。乗り越えるべき障壁とか、切り抜ける葛藤、というほうがふさわしいんだけど。 物語の後半にドンッと来て、跳ね返す、あるいは押し潰される(物語としてはそれもアリ)何かがない。無いというと語弊があるけど、ちょっと弱い。 カタルシスというのは「吐瀉物」ということで、限定された空間であるドラマの中で登場人物がもがいてもがいてもがいた末に至る結末(主に悲劇)で、共感していた観客が一粒の涙を流すことで自分の感情を外に排出してスッキリするという効用……と学校の授業で習った気がする。 主人公(?)の花さんが突き当たる困難はいろいろあるわけなんだけれど、十余年の歳月を描く話だからエピソードとして流されていってしまう。 淡々とエピソードを積み重ねていくというのは、もちろん、映画としてアリなのだけれどね。通過儀礼を入れ込んでいるけれど、それが子どもの通過儀礼ではなく、母親の子離れの側面が強いから、物語のはじめと終わりでナレーションで語られるほどの「変化」を感じられないというのはある。
それから「嘘」のつきかた、の話。 これはこの映画に限定したことじゃなくて、最近のアニメに対する自分の不適合っぷりの露呈でしかないんだけど。 見終わった後、ダンナの第一声が、作り手が背景などを嬉々として描き込んでいるようで、実写かと思った、ということだった。 その言葉はクオリティに対する賞賛というよりは呆れの響きを含んでいた。揶揄の成分さえ感じ取れた。 自分は特段何も思わず凄い凄いと感心して見ていたので、はじめダンナの反応に虚を突かれた気がしたのだが、自分の中の何かがこの映画に100パーセント身を委ねることを許さなかったことに関わりある気がして、ゆっくり考えてみることにした。 ダンナはまた、おおかみおとことの別離のシーンが一番悲しかったとしたうえで、そのシーンにおける細かい疑問を立て続けにツッコんだ。 私は「そういうこと言ってると、おおかみこどもたちはいつもノーパンなのかってことになるし」と笑い飛ばした。(下品ですみません) 笑いながらも、後々から思ったのが、リアルと嘘とのバランスだった。 無論この話はファンタジーだ。これに限らず全ての映画は多かれ少なかれファンタジーだ。 その作り物・嘘の世界を映画の中でいかに成立させるかというのが力の入れどころだ。どんな嘘八百でも、この世界ならアリだと思わせれば勝ちだ。 ただ、この映画は背景がすさまじくリアルだ。町の光景。農家と畑。山の中の動植物。風雨の描き方さえ見事だ。個人的な視点を持ち出すと、彼らの本棚に並んでいる絵本や児童文学はすべて実在のものである。 そのリアルに自分の意識が引きずられる。 花や雨、雪の言動、周囲の言動、その他ありとあらゆることに、ファンタジーではなく現実を当てはめて考えてしまう。 「彼」がどれだけ倹約して貯蓄していたかしらないけど母子3人無収入で何年も暮らすとかどうなっているんだよ、というふうに。 普段ならまあお話だし、で流してしまえるところが、気になってしまう。 無論この話はウソで、それはわかっていて……でもウソなら気持ちよくだまされたい。問答無用でだまされて、その世界に浸ってしまいたい。 でも、実写そのもののような……キャラクターの絵柄とは乖離さえしているような背景が気持ちを引き戻す。 ここからは年寄りの繰り言なんだけど、昔のアニメは背景にもその作品のカラーがあった。その世界に即した暖かみやクールさを個性豊かに持っていた。本物そのままといわれる背景でも、よく見ればその作品に合わせて色彩の調整やデフォルメ、省略を行っていたはず。 最近のアニメはあまりよく知らないが、ちらりと目にする限り「実写そのまま」な描写のものが見うけられるようだ。 なら、実写で描けばいいんではないの? 脱線するが自分は「背景が美しいアニメ」の極みは赤毛のアンだと思っている。あれはリアルで淡々とした描写の積み重ねが物語のバランスとして絶妙にまとまっていた、と思う。が、それ以降の高畑監督は「それなら実写で撮れば」という方向に走ってしまった。いやほんと、役者のプレレコの様子を撮してその表情を描き起こすなら実写でやれよ、と(おもいでぽろぽろ)。 「おおかみこども……」はもちろんアニメでしか描けない作品だけど、本当に「これはアニメでしか!」なシーンって、銀世界のあそこだけだったような気もするのだ。 あとの演出って、実は実写でも可能だったと思うよ?
まあ、こんなこと言っているのは自分が古い時代の古い人間だからなような気もする。 いろいろ言ったけど、いい作品だったと思うのですよ。 でも、実は自分はベタベタでコテコテの少女漫画的恋愛物が嫌いじゃないので、「彼」がいなくなってからテンションが若干下がったことは事実であることを告白しておきます。
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