知らぬ間に師走。 11月はほんとにバタバタしていて、なったと思ったら終わってた。
とにかく、一つずつ書いていく。
11月25日は代休もらって、映画に出かけた。水曜はレディースデーだし。
朝イチに見たのは「私の中のあなた」(その時間しかやってなかったので) 骨髄性白血病の少女とその家族の物語、と書くと、きょうびはやりのお涙頂戴モノのようだが、そう単純でもない。 愛する娘ケイトが2歳にして病に冒されたとき、両親は「完全なドナー」となるべき肉体を人工授精によって妊娠し、生み出した。それが妹のアナ。 アナは幼い頃から何度となく手術を受け、姉に骨髄などを提供してきた。 14歳となったケイトは病状が悪化し、延命のためには腎移植が不可欠となった。 ところがアナは弁護士を雇い、これ以上の医療措置を拒否すべく両親を訴えたのだった……。
……と、ここまではネットのあらすじなどで事前に知れる範囲。
原作は未読だが、日本語訳版が発売されたとき、それなりに評判が立ったので存在は知っていた。 「MY SISTER'S KEEPER」という原題のほうがより内容を的確に表していると思う。 姉を生かすための存在。
以下、なるべくネタバレを避けた感想。 ほんの数年の短いスパンの中で話が過去に飛んだり戻ったりするので、時系列の把握に若干戸惑ったが、良い映画だったと思う。 冷徹に病状を描いていて、後半のケイトの容貌はむごたらしくさえあるのだが、悲惨な場面よりも、家族で遊びに出かけたり、ボーイフレンドといちゃいちゃしたり、そんな楽しげなシーンのほうが涙腺を刺激された。
で、日本と米国の、なんというか、考え方の違いみたいなことも感じた。 長女を死なせないために頑張るあまりヒステリックになっている母は、反抗する次女に「子どもは自己で判断できないのだから親に従え」ときっぱり言う。周囲も同様。 学生の頃読まされた社会学の本などで、欧米は性悪説をもとに子どもは親が矯正して枠から外れないよう躾けてまっとうに育て上げようとする(日本は性善説で、子どもは無垢で尊いもの)とか読んだことを思い出した。体験マンガでも米国では親が意外とティーンに対して縛りが厳しいとかあったし。 あと、一元論とか二元論とか、きちんと学んだわけでないのでいい加減言うと怒られそうだけど、米のほうが身体と精神は別のものという割り切りが強いような気がした。たぶん、移植に関しては日本人はもう少し抵抗があるような気がするのだけれど。 この映画を日本人が見ているのと、本国でのとらえ方にはきっと差異があるのだろう。
終盤は前から横から後ろから、鼻をすする音が響きっぱなしだったけれど、私はほとんど泣かなかった。これはある種、希望を含んだ終わりだと思ったから。希望は違うかも知れないけど、スコンと明るい終わりだったと思う。
もう一本、「THIS IS IT」を見た。 自分は別段マイケルのファンじゃないのに、足を向けたのは、あちこちの感想の熱さに当てられたから。
そう、ファンじゃない。曲もほとんど知らない。 十代の頃あまりにも人気だったから、へそ曲がりの私はそっぽを向いていたのだ。
ただ。 自分が初めてマイケルの存在を知ったのは、NHKの洋楽紹介番組だったと思う。ふと画面を見ると「BEAT IT」のPVが流れていて、歌と踊りの渦に群衆が飲み込まれていくさまに、体の内側からざわざわと何かが湧き起こる高揚感を覚えた。 もう一度見てみたい、と思ったけれど、直後に「スリラー」が大ヒットして、テレビで見かける映像はそれ一色になってしまった。ちょうどその後、受験のためにテレビを封印してしまい、解けた頃にはへそ曲がり発動してしまったので、二度と見ることはなかった。……死亡後のニュースでやたらと流れるまでは。
マイケル世代でありながら、マイケルと無関係でいた自分は、後々テレビのニュースで容貌が形容しがたく変貌していく彼に、何とも言えない気持ちを抱いていた。 貴公子ならぬ奇行氏と呼ばれるようになった彼を単純に笑い飛ばしてしまうには、たった一度だけ抱いた高揚感が、トゲのように胸に刺さって邪魔をするのだ。
その胸のトゲを、きちんと見極めたくて、出かけたのだと思う。
ファンではない、そもそも音楽もろくにわからない、そんな自分だったけど。 歌い、踊るマイケルは格好良かった。 それ以上の言葉がいるだろうか。
ツアーのリハーサルは、リハとはいえとてつもなく大がかりで完成度が高かった。 スタッフもダンサーも、口々にマイケルと仕事をする喜びを語っていた。 皆で、限界を超えた、誰も見たことのないステージを作ろうとしていた。 ……それが未完に終わったのか……
20年以上前のあのトゲは、決して幻じゃなくて、たしかに歌と踊りの洪水の中で高揚感・快感を覚えた。
終わったとき、客席から拍手が起きた。 感想を読んだブログで、「拍手が〜」と書かれていたけど、やはり起きた。 本来ならステージで行われるべき拍手だったからかもしれない。 映画で起きた拍手と言えば、文楽人形を戸外へ持ち出した映画「曽根崎心中」を思い出す。あれも本来は舞台で見るべき作品に大して起きた拍手だった。
2本の映画の間に、昼食をとろうとして、どこが良いかふらふら悩んでいて、新京極の、学生時代から何十回下手すると百回前を通っていた「スタンド」という飲み屋のドアを開けてみた。六曜舎に続いて、若い頃は気が臆して無理だったけど、この歳だから入ってみたお店パート2。 うなぎの寝床のような店内の中央のカウンターには両側から多くの客が座っていて、平日の昼間からビールを手にしていた。なにもかもがそれはすばらしく年季が入っていた。昼間からステーキ定食(900円)頼んでしまったけど、付け合わせのコロッケが涙が出そうなほど美味しかった。初めての味。次に行くときはコロッケをつまみに飲むとしよう。
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