++たらたら日記++

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郷愁散策

 きっかけはテレビの料理番組か何かで“みたらしだんご”を取り上げていたことでした。
 小学生の頃住んでいた町の、年に一度祭りのある神社の前の菓子屋のみたらしだんごがおいしかったことを思い出し「懐かしいなあ」とつぶやくと、ダンナが「行ってみれば」と声を掛けたのでした。
 距離としてはそれほど遠い町でもないのに、なんとなくもう20年ほど行ったことがなく、だいぶ変わってるだろうと思いながら、懐かしさに駆られ。
 休日出勤の振替を取り、この日曜にダンナと出かけたのでした。

 京都から私鉄で20分ほど。
 まずは駅のすぐ近くの神社に向かい、今もやっていたお店でみたらしを買って境内(……て言わないのか?)をうろうろしました。
 安産と子どもの健やかな成長に御利益があるらしく、赤ん坊と一緒に祈祷を受ける家族が何組もあり、拝殿斜め前の能舞台では素謡の奉納が行われ、思ったよりにぎやかでした。神社の名前の由来になったという名水をポリタンクで汲みに来ている人も多数。自分が住んでいた頃はそんな水なかったはずなのですが、引っ越ししてからしばらくして枯れた水を再び掘り起こしたらしい。
 それから駅のそばの商店街をふらふら。まったく変わり果てているようで、ぽつりぽつりと以前と変わらない店が残っていました。しかし、子どもの頃は長い長いアーケードだと思っていたのに、入り口に立つともう終点が見えてる短さにびっくり。その近くにあったはずの、通い倒した図書館にも行ってみようとしたのですが、見知らぬ新しげな住宅が建ち並んでいてさっぱり様子がわからない。行きつ戻りつして、やっと図書館の隣りにあった児童公園を発見。ひたすらさびれた遊具の隣り、図書館の建物が立っていたはずの区画にはぴかぴかのマンションがおっ立っていました。
 そこから住んでいた団地へ。
 子どもの頃はそれなりに距離を歩いたように思っていたのに、ほんとにすぐに着いてしまいました。秋には彼岸花(白含む)が咲き乱れた団地入り口前の切り通しはぺったり削られて駐車場に。そして、団地の入り口は封鎖されていました。人の気配は皆無。どうやら老朽化のために建て替え工事をするんじゃないか、という様子。
 そこから小学校へ。本当に、子どもの頃の距離感と違って、頭の中の地図よりもはるかにコンパクトな町並み。空はいい天気で、でも黄砂(?)で煙っていて、町はまるで見知らぬようでいて、面影が残っていて、でもまるでミニチュアみたいに小さく視野に飛び込んできて……。記憶の町と現実のどこか作り物めいた町の差異を埋める気にもならないまま、ふらふら歩いてました。
 今どき部外者が学校に入るのは無理なので母校訪問は断念。門をのぞくだけ。
 それから、その近所の日本酒の記念館へ、団体さんにまぎれて説明聞いてました。
 一応酒所として有名だし、歴史(特に幕末)の舞台になったところだし、実は観光地なんですよ。子どもの頃はそんな自覚ありませんが。観光客向けの標識とかも昔はほとんど無かったのに今はだいぶ充実してました。
 そして、まだ日の高いうちに、食事どころへ。
 昔はちょっと奮発した外食として出かけていた鳥料理の店……だったんですが、改装して馬鹿でかくなってました。全国チェーン展開もしてるらしい……(汗) かつての雰囲気まるで残していないお店で、子どもの頃うらやましくても飲めなかったお酒を頼んで……。
 飲み過ぎました。
 酒の記念館でも試飲したので、トータルで3合くらい飲んだかも。
 へべれけになって店を出て電車に乗って……。
 京都駅の待合室で2時間、意識を無くしてました。
 ダンナはいろんな人に「奥さん大丈夫?」と聞かれては「ただの飲み過ぎですから」と答えていたそうです。まったく申し訳なく、後で平謝り。

 まあ……気は済んだかな、という感じです。寂しいとかセンチメンタルな気分じゃなく。子どもの頃のあの町は自分の中にあるんだな、と。
2007年05月30日(水) (日記)

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