このあいだからちょっと頭に引っかかっていることを書きます。 特定の選手批判、選手SAGEになってしまうかもしれません。 フィギュア見始めてまだ1年、明らかな見識違いがあるかもしれませんが、無知蒙昧の馬鹿な奴だと笑って見過ごしていただけると幸いです。
このGPF後のちょっとした荒れ模様の騒ぎの中で、「自分が食べたいのはものすごくおいしいお寿司なのに、Pさんが出すのはものすごくおいしいおにぎり」みたいな例えがあって、すさんだやりとりの中にあって笑ってしまったけれど、的確なところを突いているような気がして心に残った。 具体的にはうまく解説できないんだけど、たぶん多くの人がモヤッと感じているところを表してるんじゃないかという気がする。 なんだよーおにぎりおいしいじゃんかよー、とかいうのは置いておいて(笑)
フィギュアスケートはアマチュア競技で、スポーツであると同時に、観客に対して「見せる」ものである。ここで、エンタテインメントという言い方が相応しいのか、芸術と簡単に言い切っていいのかはわからないけど、見る側のエモーションを動かす何かという存在。
見る側はより美しいもの、心を動かしてくれるものを期待してフィギュアを見る。 もちろん個々の望むものは違うだろうけど、最大公約数というものがある。多数派というものがある。 その「多く」が期待する華やかで美しく情動的な演技と、パトリックの見せる演技には齟齬があるのだろう。 寿司ネタの見た目の美しさ色鮮やかさ、味の濃厚さ多様さ、なにより「寿司」というメニューそのものが持つ高級感と口に運ぶ高揚感。 そこからおにぎりに目を転じれば、「えっ」と絶句して、自分の食べたいのはこれじゃない、と口も付けずにそっぽを向いてしまうかもしれない。少なくとも同じカウンターに並んでいるとすれば。 実はそれはものすごく吟味された稀少な米と塩を使った逸品なのかもしれないけれど、口にしなければそれはわからないし……こんなトンデモ例えを開陳している自分も、実際にそんなシチュエーションになったら、コンビニおにぎりと区別つける自信はない(笑)
まあ、この例えはこれくらいにして。
いろいろな声が出た中で、Pさんは職人だ、という声もあったが、自分としてはどうもそれに対してはピンとこない。 職人……匠と聞いて、自分が連想するのは小塚選手だ。
※以下の論調は、日本人選手に対する批判、侮辱に値するかもしれない。 日記でフィギュアを取り上げるようになってから、なるべく選手を悪く言わないようにと心掛けてきたけれど、ここでどうしても思うところを曝してしまおうという気持ちでいる。 嫌悪を抱かせた人には申し訳ない。
上で注意書きしておいて言うのもなんだが、自分、小塚選手の演技に対しては好意的に受け止めている。スイスイとした滑りも、風を切るイーグルも、小気味いいジャンプも、美しいスピンも、身に纏う清涼感含めて素敵だと思う。 ただ、最近、とあるところで目にした「小塚選手は何かとても大切な作業をしていて、観客はそれをそっとのぞかせてもらっているみたい」という言葉が頭を離れない。 内省的に、技術を磨き、一つ一つの技の精度を高め、より完成度の高い演技を目指して努力する。それはアスリートとして当然のことだと思う。小塚選手の演技に向かう姿勢、常に己を高めようとする姿そのものに心を打たれ、惹かれ、応援するファンが大勢存在する。 それでも……。小塚選手が「次の段階」に進もうとして突き当たり、奮闘している何か……。海外のスケート関係者たちが彼にアドバイスしようとしている何かが、上の比喩の中にあるような気がするのだ。
先日の旅行の帰途、フィギュアファンの友人と話し込んだ。パトリックの擁護をしてくれた友人だ。彼女は大阪で開催されるブロック大会はなるべく見に行く、という猛者である。ファン歴も私よりずっと長い。 彼女が話したことを一言一句覚えているわけではないが、大体このような内容を言ったであろう、ということを私の鳥頭フィルターを通して引用させてもらう。 (Sちゃん、勝手に載っけてごめんね)
彼女は小塚選手のFSについて「えっ、そこをそんな編曲にするの?」「えっ、そこはそういう振り付けなの?」と思ったらしい。 マイペースに、こちらが見たいと思うものと違うことをしていて、もどかしい……というようなことを言っていた(と思う)。 そして、その点、高橋選手は見たいものがわかっていて、観客を盛り上げてくれると。
他の高橋ファンブログでも、とても標高の高い山からの絶景を自分たちにともに見せてくれるのだ、というようなことを書いていたところがあった。
その「見たいもの」「見せてくれるもの」のニュアンスが、正直、自分にはよくわからない。 ただ、多くの人が潜在的に望み求めるものを、高橋選手が受け止め、具現化して演じてみせる力があるのだろうなということはわかる。 だからあれほどまでに、人は高橋選手に熱狂するのだろう。 たぶんその「何か」は、とても色鮮やかで、華やかで、胸の奥からくすぐってくるような、素敵なものなのだろう。 お寿司で言うなら、とても大きくて新鮮で脂ののった極上のネタなんだろう。
友人の言葉と、寿司の比喩で、ずっと自分の中にあったモヤモヤしたものの正体がうっすらつかめた気がする。 時々……なるべく他の人の気に障らないように表現に気を配りつつ……漏らしてきたけれども、自分は高橋選手の演技が自分の内側に入ってこなかった。ものすごい演技をしているらしい、ということはわかるのだけれど、酔うことはできなかった。 コーチ・選手含むスケート関係者たちや大勢のファンが絶賛しているのだから、自分の素養が低すぎて、見る目がないのだろう、と思った。 苦し紛れに、外部にも原因を求めた。一部の……ほんとうに極一部の高橋ファンの言動に嫌悪を覚えてしまったが故に、高橋選手の演技を見るときにその嫌悪フィルターを外すことができずに、ありのままに受け止めることができないでいるのではないかと。 フィルターはたぶん、何割かは正解なのだと思う。 でも、それとは別に、自分がフィギュアに求める「何か」がきっと他の多数の人たちと少し違っているんだろう。 自分、今季の高橋選手のプログラムは好きなんです。背中がぞくんとするような感覚を覚える。たぶんそれはきっと、今までの大トロじゃなくて、コハダを出されたからじゃないかと思うんです。
じゃあ、お前がフィギュアに求めるものってなんなんだ、と言われると、わからない。 本当にわからない。
パトリックの滑りと幅跳びジャンプも好きだけど、アドリアンの緩やかに自分だけの空気を形づくる演技も好き。 コワレフスキーのちゃきちゃきマイムも、ミーシャの荒ぶりステップも、カサーくんの超絶イーグルも、関くんのやわらかトランジションも、ルシーヌのハイドロも好き。 傾向もへったくれもない。ランキングの上も下もない。たぶん、巧拙もない。 その演技に接したとき、胸の奥が揺れるかどうかだけ。
ああ、吐き出した。 なんか、すっとした。 引きこもっていた頃と違って、見に来てくださる方が少し増えたのに、こんなアホ書くのかよという気もするけど。 見逃してもらえると、ありがたいなあ。はは。
ああ、そうだ、補足。 職人という言葉は小塚選手を思い起こして、パトリックはそうじゃないと言いかけたけど、話の流れに乗せられなかったのでここで。 技術で見せるタイプとして同じカテゴリに組み入れられることが多いパトリックと小塚選手だけれど、観客に対する向かい合い方はたぶんきっと違う。 パトリックは会場で自分に向けられる声援も罵声もひっくるめて受け止めて、これが僕の今できる演技だから見てね、と演じた後、全ての人に対して応援ありがとうと笑いかけている気がする。 (うん、妄想過多なのはわかってます) エキシビションの場合は、もう氷の上にいるのが楽しくて楽しくてしょうがないという感じで、みんなもハッピーになってね、と笑顔振りまいている。 今から思えば……自覚するのに半年かかったけど……去年のスケカナのEXで満面の笑みでベンチをお片付けしているパトリックを見て「あれ?かわいい?」と思ったときに、パティラブの種は蒔かれたんだろうなあ。
ところでGPF男子FSでチャンティ作戦は実行されたのかしら? BS見てる限りじゃおパンツは確認できなかったけど(笑)
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