これもタイトルだけは昔から聞いていた作品。 冒頭流れる切なく哀愁を帯びた歌声にいきなり魅了される。そして光と影の演出に息をのむ。 人形アニメどうこうという以前に、ひとつの映像作品としてすさまじく映画的だ。映画的って何と言われると困るんだけど、画面が美しい。 歌と母馬の言葉は字幕が必要だったけれど、基本的にはやはり人形の動きと表情で語る物語。影に演技させてるのにはひっくりかえりそうになった。なんて繊細な動きなんだ。 三人の姫の顔も性格も違うところが見事に表現されていた。 竜の首が3、6、9と増えていくところがいかにも昔話的。この戦いの場面は実に迫力がありました。切り落とされた首ののたうち具合とか、もう。 でもこの竜退治は終わりでなく始まり。なぜか(たぶん母にかけられた魔法(?)の都合で)真実を語ることが出来ないバヤヤ。求婚者たちを集めた席で、二人の姉が転がした運命のリンゴはそれぞれふさわしい紳士の元へと導かれるが、末の姫のリンゴは人々をすり抜けてバヤヤの元へ。でも自分を助けた騎士を忘れられない姫はかつて騎士に渡されたバラを握りしめ、バヤヤの花束を払いのけてしまう。ここでバヤヤに駆け寄ろうとする老道化がいい味出してるのよねえ。王族の一番側に道化がいる、というのは日本人には今一つピンとこないんだけど、シェークスピアとか読むとその役割もなんとなく飲み込めてくる。中世の香り高い作品ですよね。あとで口輪した熊が出てきたのにはびっくらこいたが。 やがて執り行われる槍試合。求婚者の一人、がさつな大男が優勝するかと思いきや、さっそうと現れ勝利する竜退治の騎士。少し前までの物憂げな表情(これが絶品)もどこへやら、心弾ませ月桂冠を差し出す末の姫。しかし騎士はそれを払いのける。まさかバヤヤの報復だったとは。自分の恋心を傷つけた愛しき姫への報復。 やがて、母である白馬はバヤヤに我が首を切れという。ここで魔法が解けるのかと思ったらそういうわけでもないらしい。あの白い鳥は母の姿だろうか。ラストシーンで我が家の上に、それまでのフクロウに替わって留まっていたのは母だろうか。いずれにせよ、ここでバヤヤは何かから解き放たれたのだろう。 そして、末の姫は、騎士のバラを飾りつつも、旅の若者(バヤヤ)の残した楽器の弦を掻き鳴らす。彼の歌った美しい愛の歌の、初めの3音を繰り返す。 なぜバラがいつまでも枯れないのか、なぜ捨てられた花束を片付けないのか謎ではありますが(笑)、婚礼の宴の猥雑な場から逃れ、中庭の花束へと歩む影。そこに潜むもう一つの影。互いが捨てたものをもう一度交わし合い、二つの姿は寄り添ってそっと旅立つ。優しく暖かく見送るのは老道化ひとり。 主人公が王家の婿となってめでたしめでたしなのではなく、一組の恋人たちとして、老いた父の待つ貧しい家に帰り、暖かい小さな小さな家庭を作ろうとしたところが何とも言えません。 もう一本「金の魚」。これもろグリムの漁師の妻だなあ。車ですかそうですか。電気ですかそうですか。その辺だけ妙にシュールで笑っちゃったわ。
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